闘病記


2007年

9月  10月  11月

11月1日(木)     わたしの誕生日とこれからのこと

仕事が押してギリギリに着いたら全員寝ていた;

今日は一日ウトウトで夜は汁を少しだけ飲んだだけだった。

それどころじゃなさそうだったけど、
『今日で27歳になったんだ!』 と一応言ってみたら
『何がいいかな。』 と言ってくれたので
『ウクレレがいいな』 と答えた。

お父さんは昔ギターをやっていたので
『指教えてね。』 と言ったら
『覚えてないけど思い出すか〜』 と言ってくれた。


貸切り状態の部屋でi-potでカーペンターズを聞きながら話していた。

『終わったな』
 
ふいにお父さんが言った。

“音が” という意味だと思うけれど、こういう言葉に敏感になってしまう。


そうしてるうちにお父さんが寝たのでカズがデニーズに行った。
そしたらしばらくして起きて 『ズー(カズ)は?』 と聞いた。




昨日、実際お父さんが家に帰ってきたらお母さん一人ではとても診れない
だろう、という話しになった。

前々から、いざとなったら私は仕事を辞めるしかないね、と話していた。

カズは仕事をして一人暮らしをしてちゃんと “自立している”
という事がお父さんの何よりの誇りだから、
カズは仕事に支障を来たさずにしっかり稼いでいなくてはいけない。


今までは私もありがたいことに早退させてもらって夕食の時間には病院へ
着くことができた。
 
幸いお父さんにもバレていない。

お母さんは朝から晩まで一日中病院にいたけれど、
それ故お父さんと衝突することもあれば言い合いになることもある。
私が行って雰囲気が変わることもあればカズが来て女では
分からない車の話で盛り上がることもある。

知らないうちにそれぞれの役割りがあって、
みんなでいろんなことを乗り越えてきた。


しかし昨日ケアマネの人が家に来て詳細を聞いたところ、
ヘルパーというのは非介護者本人に関わることしかできないそうで、
例えばトイレットペーパーを買いに行きたいと思ったとして、
買ってくるのでお父さんをみていて下さい、というのはOKだけど、
お父さんのことは自分でみていたいのでトイレットペーパーを
買って来て下さい、というのはNGだそうだ。

それじゃあほとんど使えないじゃないか!

それがお父さんにまつわる買い物だけならばいいんだろうけど、
私達だって生活してるんだからそうもいかない。

確かに車椅子の介助者としては一応専門家で慣れているんだろうから
助かるけど、来てくれるのは週2回の数時間で、お父さんがいつ車椅子に
乗りたいか、乗れる体調かなんで本人にも分からない。

そういう意味では日中カズがいるのが一番いいけれどそれはムリだしお父さんが許さない。
お母さんは介助は絶対ムリ!と言っていて、それは確かに無理だった。
無理して尻もちを着いたら本当にベッドから出られなくなってしまう。
やると言っても間違いなくカズが止めるだろう。

そう考えると、お父さんが寝ている時やご飯や体を拭いたりすることは
お母さん一人でもこと足りる。ストマ交換も昨日教えてもらったそうだし。

ただ、日中お母さんと2人の時、お父さんは間違いなく車椅子に乗る、と言い出すだろう。
とがめる医者や看護士がいなくなったら下手したら無理して歩こうとするかもしれない。

看護士が来るとはいえいつもいる訳じゃなく、いつ何が起こるか分からない。
介助する力はもちろん、精神的にもお母さん一人では無理だと思った。


第一、お父さんは家に帰ったら他人が家にいて自分の世話をするなんて
毛頭思っていないだろう。
ヘルパーに頼める数少ない体拭きでさえ、それが他人だったら
なんのために病院で見学してたんだ!と思うお父さんの顔が目に浮かぶ。

モルヒネによる幻覚、幻聴で “誰かに命を狙われている” と言うような状況で
帰った自宅に他人がいて家族が一人もいないようなことが1分でもあったら…

お父さんが家に帰るのはお父さんに “安心” を与えるためだ。
これがあれば、せめてお父さんをおかしくしているあのにっくき安定剤
は必要ないはず! とカズは言った。

医者でも看護士でもない、何かあっても十分な医療措置がとれない私達だけど、
これが特効薬になれば…。

そのためにお父さんは家に帰るのだから。


そう話して今日、私は会社に事情を話し、近く介護休暇をいただけることとなった。
この世にこのような制度があることと、この一番忙しい時期に
それを承諾してくださった会社と皆様に心から感謝する。

私が病院に着く前、お父さんがウトウトしていたのでお母さんがヒソヒソ声で
カズに私の介護休暇がとれそう、と話をすると、
『おねぇがどうしたって?』とちゃんと聞いていた
と言ってお母さんがビックリしていた。

11月2日(金)     起こしてくれ

昼汁三サジ。熱が7.5℃でほとんどずっと寝ている。

リンゴジュースだけうまそうに飲んだようだけど
お気に入りだった氷水は飽きたみたいで減らない。

痛みが取れず、回診で『最悪』 と答えて痛み止めの点滴が追加になった。

お母さんのメールから、日中のお父さんの様子は決してよくなさそうだった。


私が着くとすぐ、両手を出して言った。

『起こしてくれ、立ち上がれないんだ』

『でも痛いでしょ…?』

お父さんは黙ってしまった。

『治ったらね』 そう言ってあげられないのが辛い。


寝ているだけで腰が痛そうにしている。
カズが来てちょっと冗談言うけれどウトウト寝ている。

今日、仕事で遅くなったけどお父さんに話したら絶対に
のってきそうなことがあったけど、
お父さんにはそれを聞く体力さえない。
寝ることをコントロールすることも。

“いつもならこう言うだろうなー”という想像だけが募る。

お父さんは寝ていても周りで家族が話していることが
少しでも安心につながれば、と思う。

フッと起きると両手を出してお父さんは言った。

『起こしてくれ。痛くてもいいから』


痛くてもいいから起こしてあげたい。
それでお父さんの気が済むならば。
それがお父さんの命を削ったとしても、

起こしてあげたい。

そう思ったけれど寝ているだけでも痛そうにしている
お父さんの手をひっぱってあげることはできなかった。

またウトウトしてきたので私はデニーズへ行った。
帰り際、やっぱりお父さんは今日帰りたそうにしていたらしい。

痛み止め…錠剤はその味と匂いが嘔吐につながるので飲めない。
点滴となると家に帰れなくなる…

また新しい難関が私達を不安にさせた。

11月3日(土)     脱出

朝8時、私の顔を見るなり 『よく分かったな。』 と驚く。

ここはアラブ。 横に看護士さんがいたのは
脱出すると言って点滴を外そうとしていたからみたいだった。

『家に帰る』

今点滴してるからもうちょっと待って、となだめる。

いざとなったら切っちゃえばいんだろ。とお父さん。
いざとなったら…このもうろうとした頭でもいざとなった時のことを考える。


『まーの顔みて安心したよ』

私達がいない夜が、どれだけ不長くて安なことか。

点滴を引きながら廊下を歩くおじさんをみて
『アラブにもいた』 と言う。

宇宙旅行がなんとか…とも言った。


水を一口飲んだら吐いてしまった。
でもその後アイスコーヒーを一気飲みしてホットコーヒーも少し飲んだ。

カズが来れば帰れる、と思っているのか
『いつ来る?』 と聞かれた。
まだ朝だったので 『まだまだ夕方だよー』 と答える。


『玄関のへんにおとうのズボンない?』
 
突然、まるで家にいるかのように言った。


どうしても脱出したそうだった。



ゾロゾロと回診軍団がやってきた。

『帰りたい』 お父さんは言った。

『ムリでしょーこんな状態で』


こんな状態。 医者には特に、言葉を選んで欲しい。

こんな状態とはどんな状態ですか?

下半身麻痺で歩けないことですか?

モルヒネを貼っても量を増やしても痛くて痛くて痛み止めが追加になった状態ですか?


ユーモアのかけらもないくせに。
ほんとに大嫌いだ。

『でも来週帰るって話になってるんです。ただ痛み止めの
点滴が増えたから帰れないのか心配なんです…』

帰りたい。 お父さんと一緒に。 なんとか訴える。


すると隣にいた明らかに若い医者が
『外出ならできる。 薬も点滴じゃなく座薬を試してみましょうか。
点滴も家でできないことはないし…とにかく何か方法を考えますよ』
と言ってくれた。

このヘボ医者を押しのけて出てきてくれた感じだった。


その後お父さんは自分が昔住んでいた三重県の津か茅ヶ崎に行くとか、
お父さんのお店があった栗木に行くとか、今の家に引っ越す前20年以上住んだ
田中へ帰る、とか言った。

茅ヶ崎の実家。
そこに入れるのは…『ぼくだろ、弘子(母)だろ、まーとカズと…それくらいか』 と言った。
家に帰ってそれを話したらお母さんは “よかった、おかぁも入ってて。” と言った。


それからやたらに
『ぼくはマークU(以前の車)できたのか?』 と聞いた。
『お父さんは救急車で来たんだよ』 と言うと、かなり驚いて
『なんだかさっぱり分かんなくなってきた』 と言った。

そして 『立ち上がれねんだよ』とか 『起きんのが大変なんだよ』 と言った。
『ほんとだよね。』 と同意すると、少し苦笑いしながら
『前のおとうだったらひょいっと起き上がるのにな』 と言って
『最近起きれなくて困ってんだよ』 と弱々しく笑った。


お昼は汁とお粥を1/3くらい食べた。
食べたいというよりがんばって食べた、という感じだった。
そして 『食べたほうが印象いいか?』 って冗談を言って笑った。


汁とお粥をこぼして 『布団に食わしてやった』 と笑った。
派手にこぼれたので着替えついでにこないだ着なかった
セーターを重ねて着てもらった。

着替えるもの痛そうだった。
今日私はよくある鼻炎で鼻の調子が悪く、鼻を触ったら
『くさい?』 と聞いた。

まさか!
でも、まったくみせないことも、お父さんは
気にしてるんだな、と思ったら胸が痛かった。

その後眠ったみたいだったので12時半頃お母さんと交代して家で休んだ。


15時半頃病院へ戻るとまた痛そうにしていた。
私が帰ったあと、横を向いたら汁ももどしてしまったみたいだ。

体がずれてきて足がベッドの下につっかかっていたので
頭の方へ持ち上げたら激痛が走り、痛み止めの
座薬を試したけどストマーからなので出てきてしまい、
再チャレンジしたけれどダメで痛すぎてけっきょく点滴になった。

しばらくして点滴が効いてきたのかグーグー寝て、
時々起きてもぼんやりしていて、カズがきてもあまり反応なく、
ぼんやりのままだった。


今日もi-potから音楽が流れていた。
その話題の中で、 『ビリージョエルは生意気になってきた』 と変な事を言った。
意味はよく分からないけれど、カズの言う通りラジオをやめてお父さんの好きな音楽
を流したことで明るい会話のきっかけにもなった。

そして玉ちゃんにCD借りなきゃな、とさらによく分からないことも言った。


昨日病院前の横断歩道の上で大の字になって靴が両方脱げるほど
派手に転びケータイの表画面を壊したお母さんは、
しまいに今日、トイレに落っことしてついにケータイを壊してしまった。

まぁお母さんらしいちょうどいい話題に
『ドジだねー』 とお父さんに話したら、
『まぁ一般的に見たらドジだけどある話しだな。』
と、とてもシャープで冷静なことを言った。


今日はカズは退院した時の駐車場手配のための準備ですぐ帰って
いなかったせいか、そろそろ帰る時間になると
『2人で足をひっぱって』 と言った。

脱出しようと思ったのかもしれない。


『2階に誰か寝てる?』
冴えてるかと思えば急におかしなことを言う。
『ここは3階だよ』 と言うとびっくりしていた。
1階がドンチャカうるさいMRIがあるとこで、2階が婦人科系で4階が
人間ドッグで…説明しているうちにウトウトしてきた。


全部、お父さんが入院してから、お父さんが私に教えてくれたことだった。

11月4日(日)     足が邪魔だ

朝8時に行くと、 『よくここが分かったな。』

『昨日もいたじゃーん、変な感じする?』 と聞くと、

『オランダかどっかじゃないの?』

今日はオランダか…

『なんか全然分かんなくなっちゃたな』


さらに 『いつもはどこにいてどんな話してる?』 (自分が) とか、
『なに食べてる?』(自分が)とか、
『他の人の世話はしないの?』 (私が) とか、
『タクシー拾ったことある?』 (私が運転手らしい) とか、
変なことをいっぱい言った。


水を一口飲んで点滴をじっと見ている。
震える手で点滴を調節する部分にストローを近づける。
何をするつもりかと思ったらそこにストローを差しといて飲もうってことみたい。

どうしちゃったのかと思ってびっくりしたけど、
相変わらずとても普通じゃ思いつかないことを考えるなぁお父さんは。




『起こして』


  『痛いよ』


手を差し出す父。 それしか言えない私。

お父さんのあきらめた顔。


そして言った。


『足が邪魔だ』


  …昨日も同じ事を言っていた。


『足が邪魔だ、いらねえ』


毎日お父さんの足をさすり、リハビリをしているお母さんが、
お父さんの関節が硬くなってきた…と話していた。


アゴを触りながら何か言ったので、 『ヒゲ?』 と聞いたら
『まーブツブツができてる』 と言った。
今朝、大きいニキビができて気になっていたことろだった。


飲むヨーグルトを一気飲みして気持ち悪いと言ったけどなんとか
吐かず、グーグー寝た。


前に顔黒オジサン。
この日の日記にそう書いてあった。
あぁ、後に私達に “くろんぼ” と呼ばれたおじさんだ。
いよいよこの日記も終盤に差しかかってきたな、と思う。

このオジサンは来てから飲まず食わずで看護士が二人ががりで
『ちゃんと食べて!』 と大声で話しかける。


看護士が病室を出て行った後、お父さんが何か言った。

『治らねえ病気。』

そう聞こえてドキッとして
『痛い?』 とごまかしたら

あれ(看護士の態度)じゃ治るもんも治らねえ、という意味だったようだ。



そういえばお父さんが入院した当初、看護士がお父さんの食事量に
関心が無いことにショックを受けたのを思い出す。

お父さんが入院する前に、風邪をこじらせて入院していたおばぁちゃんの
お見舞いに行った時は、 『食べないと帰れませんよ!』
としきりに看護士が言って食べさせていた。

なのにお父さんのことはどのくらい食べたのか見てもいない。

お父さんは食べても食べなくても同じだって言うのか!
被害妄想かもしれないけど怒りさえ覚える。

もしそうであっても、向き合うことが大切なのに。
自分にちゃんと関心を持ってくれている、それが患者の安心につながるのに。

末期ガンで治療ができなくても、医者や看護士にできることは沢山あるのに。



ご飯といえば、看護士が運んで来てちょうどお父さんの病室を少し過ぎた
あたりで台車を停める。

『とりに来られる方は取りに来てくださーい!』

取りに行きたくても行けないお父さん。
代わりに取りに行く私たち。

一日三回、悲しくてやりきれない言葉が廊下に響き渡る。



あのヘボ医者が回診に来たけれどお父さんはぼんやり気味で反応が鈍く、
あまり食べてないとはいえ、まったく便が出ていなかったので下剤を飲むことになった。


10時にカズが来ても反応が鈍く、お昼もまったく食べなかった。
“りこげ” にして以来剃ってなかったヒゲをやっと剃る気になって
今日は普通に剃ってもらった。

11時半頃カズがお昼に出て、13時頃私もお昼を食べて家に戻り、
お母さんと交代した。

夕方病院に戻るとお父さんは寝ていて、その前からけっこう寝てる
ことが多いみたいだった。

カズが買ってきたICE BOXを少し食べたみたいだけど水もマズイと
言って食欲はなかった。


ヒゲを剃っている時に看護士にカズがお兄さんかと思った、と言って
カズの歳を聞いて『若いですねー』と看護婦に言われた話しをした。
『オレそんな老けてるかなー』 というカズに
『カズ、ドスきかしてやれよ』 と、冗談を言った。

結局夕食もまったくでずっと寝ていた。
“おとうも消える” とか変なことを言った。

たぶん帰る、という意味で。

11月5日(月)     改装工事スタート

18時前に病院に着いたけどお父さんは寝ていた。

昼はコーヒー半分と巨峰を5粒だけ食べてまた下剤を飲んだそうだ。
夕方から熱があって氷枕をしていた。
夕食は汁とお粥を5さじずつで、ほぼ一日寝ているようだった。

上半身は横に傾いていて、お父さんは自分ではそれに
気づいてない様子で時々イテテと言った。

今日斜め前におじさんがきて、数日間貸切だった部屋は
今日で満員になった。

お父さんが入院してから、一体何人の人が入院し、退院していっただろう。
その今日来たおじさんの奥さんが前を通った時、 『誰?』 と聞いた。

帰り際に見ると、少しだけ便が出ていた。
水曜日にパウチを変えて以来だった。

カズは今日給料日恒例の焼肉でいなかったけど、色々ゴタゴタしていた
カズの会社の話しで、
『今月中に決着するかね〜』 とお母さんと話していたら、
『しないだろ、』 ってちゃんと聞いていた。




今日から改装工事がスタートした。

床ダンに乗り気だったお父さん。

帰ったら車椅子と車で出かけるつもりだったお父さん。

ガンダムになりたかったお父さん。

お前らの計画はよくわからねえと言ったお父さん。

治るならここ(病院)にいると言ったお父さん。

慌てて後悔したらつまんねぇからと退院を急がずに綿密に改装の計画を立てたお父さん。



帰ってきたら、足が動かないこと以外、いつもと変わらない生活を送るつもりだったんだよね。



人工肛門の手術をして、日常で少し苦労することもあったけど、
毎日散歩したり写真を撮ったり、毎日楽しく暮らしてたもんね。

仕事を辞めたらもぬけの殻になっちゃうかと思って心配したけど
お父さんの生活は充実してたもんね。

障害は4級から1級になったけど、あの時と同じようにそれを受け入れて、
その上で出来る限りの楽しい生活を、思い描いていたよね。



お父さんが家に帰れるか分からないまま、工事が始まった。

急いで欲しいと無理を言ったら3日で終わるようにしてくれた工事。

そしたらカズも私もいる今週末に退院できる。

そう思ったのに次から次へと苦しいことはやってくる。

11月6日(火)     おかぁが怖え

朝・昼少し食べて便もちゃんとでたようだ。

熱だったのでお風呂に入って疲れたようで、
氷を買って18時半に着いたら今日も寝ていた。

起きたら、 『どっから来たの?』 と聞くので
『石川町だよ。』 驚いた顔をしないように普通に答える。
お父さんは “ふーん” って言ってよくわからねぇって顔をした。

夕食も少しだけ食べてグーグー寝た。
カズが来たので下にずれた体をそおっと上に上げたら
痛そうで目を覚ましてしまった。

カズが 『ボーナスがでるかも!』 と言った。
お父さんが喜ばないはずがない話題だった。

でもお父さんはいまいち反応がなかった。
いつもなら、のってこないはずがない話題だった。
カズもきっとお父さんが元気になってくれると思って言ったに違いなかった。

だってこの日、着替えを忘れたカズはわざわざ一度家に
取りに帰ってまで病院へ来ていたから。

ふいに 『どうやって出る?』 みたいなことを言った。
出る、とは “病院を” で、『帰る』という意味だということは
みんなが分かった。

食べることもできなくなってきたので帰るどころか
いつまでたっても抗ガン剤ができない状況だった。

何かが良くなれば、またどこかが悪くなった。
一つ乗り越えると、また何かが襲ってきた。

『今お父さんは食欲がないからさ、がんばって食べたら点滴してさ、・・・』
お父さんに顔を近づけてお母さんは必死に話した。



『おかぁが怖え。』


その一言で大爆笑になった。

またウトウトしてきて何か言ったかと思ったら

『手裏剣を取り返す。』



・ ・ ・



とっさのことにみんなが絶句してたら
『もう解散していい』 と言われた;

今日は私が先にデニーズへ行った。
お父さんは両手で手を振ってくれた。

11月7日(水)     セカンドオピニオン

仕事を休んだ。 朝8時。
バレるかなー; なんて言おうかなー;

『よくここが分かったな』 

この言葉を聞くのは今日で何回目だろう。

『夢でジェット機に乗った』

『ジェット機?どんな夢?』

『くっだらねぇ夢』


アメリカ… ソ連…  今日は一体どこにいってしまっているのだろう。

『ソ連じゃなくてロシアだな』  …のわりに結構しっかりしている。。

でも今日はわりと声が出てる。


『出口はどこだ?』  やっぱり脱出モードだ。

突然、  『まーは治ったの?』

『まーはお父さんのところに来てるだけで入院じゃないよ?』

『そっか、よかった。』

『じゃあおかぁが先逃げてまーが一人いれば大丈夫だ』

『ぼくはお前がいないと不安だから、なんか体が変だからさ。』
『カズは自力でなんとかなるだろう』

『他の人は診ないの?』

『まーは看護婦じゃないからお父さんだけだよ』

『ふーん』

前にも聞かれた。その度に、いつの日か看護士と私が区別できない
日が来るんじゃないかと不安になる。



『ズボンない?』  やっぱり脱出モード。

『他に逃げようってやつはいないんだな』 不思議そうに周りを見る。

『だってみんな入院してるんだもん。囚われてるわけじゃないんだよ。』

『ふーん。囚われてるのかと思った。』


前に置いてあるテーブルがベンチに見えているようだ。

どうやって逃げるかを常に考えている。

空(くう)をみるお父さんの目つき。

まるで起きたら知らないところで寝ていたかのような顔。


“ここはどこだ” という顔。


『ひょっと歩けないのが辛いんだよなー』

まるで、おじいさんが 『最近腰が痛いんだよなー』 とでも言うように言った。
最近なぜか、辛いことを穏やかな顔で言うことが増えた。


朝食もまったく食べず、コーヒー一気飲みして半分もどした。



セカンドオピニオンに本人サインが必要だ。
今日セカンドに行くことはあんまり大きい声では言いたくない。
『うちなら治せます』 なんてことはあるはずがない。
万が一いい治療があったとしても何ヶ月まちだろう。
末期ガンの人は受け入れ先が少ないことを思い知っている。
できればこっそり行きたいくらいだけど一日誰もいない言い訳もない。

書類を見せると、お父さんはそれをじーっと見た。
読んでいるのか、読もうとしているけど頭が働かないのか
分からない表情でじーっと見ていた。

やたらにハンコを押さない。やたらにサインしない。
お父さんにそう教えられたことがあったかもしれない。

しばらくじーっと見てようやく書き始めた。
線が引いてあるのにどこに書いていいか分からない感じで、
手にも力が入らず、自分の名前を書くのに何分かかっただろう。



効果がなかった抗がん剤は、お父さんの立派な腕や手の力まで奪っていた。
髪の毛と食欲と、大切なものを次々に壊した。



腕だけなら逆立ちで歩けそうだと言ったお父さん。

腕の力だけでベッドの柵につかまって上に自力で上がって看護士をびっくりさせたお父さん。
逆メタボ対策だ、と言って頑張って食べたお父さん。

毎日車椅子に乗ったお父さん。

2箇所あるうちの1箇所にようやく名前を書いて疲れてしまったお父さん。



『これじゃ汚なすぎて失礼だ』
  確かに汚い字だけど、いんだよ別に。
でも納得がいかない様子だ。 一時中断。


10時頃お母さんが来てようやく書類が完成した。
『これはどこのセカンドオピニオン?』
やっぱりちゃんと文章を読んでいた。

お母さんはお金をおろしに行った。 ウトウト寝たと思ったら急に起きた。

『先生にお礼を買わなきゃ。』

おかぁに言ってお菓子かなんかを買えという。

『お医者さんは物もらっちゃいけないんだよ』

『そんなのはたてまえだ』 怖い顔で言う。

『お母さん今お金おろしてるからすぐ帰ってくるよ』

『なんだ、またお金おろしてんのか。全くお金おろしマシーンだな。』
と言って笑う。


もちろんお医者さんへお礼を買うためのお金じゃない。
“また” という意味もよく分からない。
でもたぶん、セカンドオピニオンのことが頭にあって、
治った夢でも見たのかもしれない、と思った。
治してもらうために、綺麗な字を書こうと思ったのかもしれない。


お母さんが帰ってきた時にはすっかり忘れてしまったのか、
何も言わなかった。


それからお父さんはまた寝たのでお母さんと早お昼を食べて
病院へ戻った。お父さんは汁とお粥をほんの少しずつと柿を1/4食べた。


『じゃあ行ってくるね。』

『どこに?』 忘れていてくれたならその方がいいのかも、と思った。

『二俣。』 あまり期待させたくなかったので地名で答えた。

『二股かけるから二俣だな。』 非常に冴えた冗談を言って笑った。


『じゃあカズが来んの?』
『カズは夕方だよ』 一人で大丈夫かなぁと思う。
『大丈夫?二人で行くよ?』

『大丈夫。』  お父さんははっきりと答えた。

最悪は一人で行こう、とお母さんと話していたけど、
事情を話したら行って来い、と言うに決まってるとは思ったけど。



『癌センター』

ここにいいる人は皆、 “癌” なのか。 当たり前のことを思う。
なぜかみんなが元気そうに見えた。
“いいなー 歩けて。” お母さんと、同じことを想う。



ガンセンターからお父さんのいる病院へ戻って、
頼みたいことがあったので今までミーティングに同席していた
ちょっとえらいらしい看護士を探したが見当たらなかった。

ナースステーションに声をかけたら後から病室へ伺います、とのこと。

できれば裏をとってからお父さんに話すのがベストだと思ったけど
これ以上お父さんを待たせられないので病室へ向かった。



お父さんは起きていた。

しっかりと目をあけて。

しっかりとした顔で、私達を待っていた。


私が戻ったら話すと言っていたようで、コーヒーを半分飲むと、
お父さんは言った。

『で?』

お母さんは今日聞いた話をお父さんに告げた。

完治はしないこと。

延命治療だけど今それが大切なこと。

今ある選択肢は化学療法(抗がん剤)か少しでも痛みをとること。

ベッドを起こすのだけでも腰が痛い今、全く動けないことは
肺にもよくないので痛みをとることがとても大切なこと。



痛みをとるには放射線治療が必要だった。
この病院には放射線の設備がない。
近くに設備がある病院はある。
病院から病院へ、なんとかその治療が受けられるように
お願いして欲しい。

そう思って先に看護士を探した。
この世に2つしかない選択肢。
選ぼうにもこのままでは1つしかない。
それを確実に2つにして、お父さんに話したかった。
せめて、その上でお父さんに選んで欲しかった。

放射線治療のことは知っていたけれど、
『治らない』 ということをちゃんと話してからじゃないと
何も始まらない。 と今日ガンセンターの医者に言われた。


そこまで話したら看護士が現れた。

タイミングが悪い。

ちょっと後で行きますと言ったけど看護士は去らなかった。

話しの流れ的にその場で放射線のお願いをすることになった。


『じゃあそれしかねえじゃん。』

看護士と話している間、お父さんはずっと遠くをみたままだった。


看護士が二つ返事できるようなことではないことは分かっている。
話しの途中に看護士は言った。
遠くをみたままのお父さんをチラッと見て。

『ここで話しちゃっていいのしら。』


看護士ならばこういう場面はいくらもあるだろう。
なぜこういう時、自然にその場を離れる配慮ができないのか。
ケースbyケースのマニュアル通りにいかないことだ。
患者は人それぞれ違う。
人間同士のこと。
確かに容易なことではないだろう。

でもなぜその人を目の前に、その人に隠しごとがあるかのように、
その人の前では言えないことがあるように、
たとえ事実そうだったとしても、 他にいい様がないのだろうか。

お父さんは物じゃない。
目も見えるし耳も聞こえるし心がある、人間だ。

さも本人は聞いていないかの用に、
というか聞いていても別にいいと思うから
こういう事を平気で言うのだろうけど。

こういう空気はもうどう取り繕っても取り返しがつかない。


お父さんがコーヒーをこぼした。


その騒ぎでお母さんと看護士は別室へ移動した。

他の看護士が2人きて、シーツごと全取り替えになった。
ベッドの上げ下げさえも痛がっていたので、私はお父さんについていた。
看護士は乱暴だから。自分の仕事を全うすることで精一杯だから。

『下げるのも、痛いんだよね。 お父さん、痛いんだよね。』

看護士たちに配慮を求めてわざと言った。

『気をつけてやりますから。』

お父さんにへばりついていた私はその一言で病室から追い出された。



そしてお母さんと看護士のいる別室へ入った。
看護士は放射線のことを 『お勧めしない』 という空気を全開にした。
でももはやあなたの意見は聞いていない。

放射線が死期を早めることだったある。
そう言われても何をしたってリスクはある。

選択肢を増やしたい。
またこれもダメだった…お父さんをがっかりさせたくない。

『ですからあの時帰れてればよかったんですけど…』
『過ぎたことを言ったってしょうがないじゃない!』
お母さんの言う通りだ。これでは立場が逆じゃないか。

『頼んでみて欲しいの。』
看護士の言葉を断ち切ってお母さんは言った。

通称:エラカン
脊髄の腫瘍が見つかった時、下半身麻痺になります、といきなり母に告げた。


たしかにあなたの言う通りになりました。


さぞお勉強されていらっしゃるんでしょう。
だからあなたはエライんでしょう。

でも、人が歩けなくなるということの意味を、あなたは本当に分かっていますか。

もし分かっているとするならば、さらっとそんなことを口にできないはずです。

あなたの言葉はアドバイスではなく、知識の披露のように聞こえてなりません。



お父さんは久しぶりに汁全てとお粥を半分食べてくれた。


お粥にお湯を足すかと聞いたら、
『このままの方が入れやすい』 とお母さんが言った。
『入れやすい、だって』 と、まったく人を物みたいに扱って! 
というアイコンタクトを私に送った。
でも家族同士ならば、それも笑い話になるから不思議だ。

そんなこと知っちゃかほいのお母さんは、お父さんがいっぱい食べてくれたので
『おかぁのお給仕がいいんだね』 と言っていた。



お父さんは“イッ?” と言った。
あの、“イッ?” って顔で。
黒目だけ、斜め上を見る、あの顔で。


お父さんが久しぶりにご飯を食べた。

これが、新たな一歩の始まり、と私は思った。

そう信じたかった。

家に帰ったお母さんは
『私達のために食べてくれた感じがした』
と言って、
なんて残酷なことをお父さんに言ってしまったのだろう、と
まだ迷い、後悔していた。

11月8日(木)     元気がない

朝は味噌汁と飲むヨーグルトト。
ぼんやりねむりがち。
体拭いて着替えた。
お昼ごはんが来ても爆睡。

お風呂係りの小さい方のオバサン、通称チビオバがきて、お父さんに
『帰りたいよねえ』 と言ったら
『ということで』 と言ってお母さんを見た。

その他、お母さんと転院に関するメールのやり取りを何度もした。

巨峰と氷を買って18時半にいつもの救急用出口から病院へ
入ったら帰宅する主治医とすれ違った。

夕食が来ても寝ていて全く食べなかった。
夕方熱が7.9℃あったみたいで点滴が解熱剤入りで栄養があるものに変わった。

起きても左斜め横を向いてずっと黙っている。
目を閉じていても起きているようだった。
何か考えているのか、ただもうろうとしているのか…

カズが来てもずっとだまっていた。


お父さん、耳でかいねー と、お父さんの顔の話をしていたら
少しだけ和らいだ表情になった。 気がした。

あまりにも言葉が少ないので左側に行って手を握ったら
ぎゅっと強く握り返してくれた。



私はお父さんにそっくりだ。

それは生まれた時からだそうだ。

前から我ながらそっくりと思っていたけれど、
こうして毎日まじまじお父さんの顔を見ていると、
本当に本当にそっくりだ。

テンパの髪、ぼさぼさ眉毛、目やにのたまり易い奥二重の目、
大きい鼻、笑うと上が見えなくなってしまう薄い唇、エラの張った輪郭。

親子が似ているという当たり前の会話は、無条件に家族に笑顔をもたらす。

こんな時、この顔がとても会話を明るくさせる。

決して美人じゃないけれど、私はこの顔が誇りです。



『ロッカーマーチン』 急にそう言った。 気がした。
なんだかよく分からないかった。

これは今思ったことだけど、マーチンってわたしのことかな。
考えすぎか。。



結局ほとんどしゃべらず、20時前に帰った。


この日、ある看護士がマスクをしてゲホゲホ咳をしながら仕事をしていた。


“風邪引いてるけどがんばってます!”
 
そんな風にさえ見えた。


私たちは毎日が命がけなのです。


お父さんがこんなに元気がないのは初めてだった。

11月9日(金)     少し元気

8:59
朝少し元気。平熱。
コーヒー、味噌汁、お茶少し、ジュースまでいうからとめといたよ。

句読点が一切ないお母さんのメールに句読点を付けたらこんな感じだ。

朝一はお母さんに 『よくここが分かったな。たいしたもんだ』 と言ったらしい。
“たいしたもんだ” は、私には言わないよ、お母さん。

でも調子は “全部悪い” そうだ。


11:21 
熱高くておかしいと思ったら8度以上あったよ、朝いちはなかっららしいけど。
みかん一個食べた。下がりそうだよ、汗かき始めたから。

12:42
昼ご飯粥も少し、りんごジュースうまそう
ボーッとしてあまり痛がらない
昨日より少しいいくらい

13:01
昼ご飯いっていいかってきいたらだめだって、
あちゃー!

『今日何があると思ってんだ?』 と怖い顔をして言ったらしい。

13:35
洗濯物で脱出しました。早めに戻るよ

        ・
        ・
        ・

明日からお休みをいただくため、今日はバタバタしていて、
蛍の光10分前に病院へ滑り込んだ。
デニーズ係りのカズとすれ違った。
いつも通りカズがデニーズ行って来ると言っても
何のことか分からない様子だったそうだ。

フネでなんとか…
確かに汽笛の音が聞こえていた。
言われなければ気づかないくらい遠くから。

帰るとき、
『また明日朝一来るから仲良くやろうね』
お母さんがそう言ったら
『なんかおかぁの言い方がズルイ』
と言った。

お父さんがこんなに元気がないのは初めてだった。

11月10日(土)     うつ病

朝、8時を10分過ぎてしまい、小走りで行ったけれど爆睡だった。
起こすのはやめてご飯はパスした。

物音がしても起きず、ふっと目を開けても遠くを見ていて、
スースー、というかハアーハアーした、寝ている時と同じ呼吸だった。
目を開けたまま寝ているような。

『苦しい?』 と聞いてもわずかにNOと反応する程度だった。
目に膜がはっていて、 『まー見える?』 と聞いても今いち反応がなかった。
熱も下がらない。


回診軍団が来ても反応が薄いお父さんに代わって呼吸と目のことを話した。
その後主治医に呼ばれた。


セカンドオピニオンから帰ってきたあの日、あの看護士、“エラカン”に言われた。


『今までは適応障害でしたが、今はうつ病です。』


勝手に決めてくれるな。そう思った。

何でも名前付けりゃいいと思って! そう思った。

テキオウショウガイ? なんのことだ。 そう思った。



でも今日、お父さんを見ていると確かにうつ状態のように見えた。


主治医は、お父さんはうつ状態だから別の病院から精神科の先生に
きてもらえないか掛け合ってみる、と言った。
レントゲンから見ても肺よりも精神からきているようにみえる、と。


“うちには精神科がないからそれだけはいつも申し訳ないと思ってるんです〜”
きのうエラカンが言っていた。
私達は放射線の話をしてるのに! 精神科なんて聞いてない! そう思った。


お父さんとうつ病。

まったくリンクしない言葉だった。


ガン患者の8割がうつ病になるらしい。

だったらなんで全ての病院に精神科がないのか?

納得いかないことだらけだ。


その後もお父さんはほぼ寝たままで、時々目を開けても反応しなかった。

13時半頃お母さんと交代した。


14:32
二時半7度7分
目をあけ反応なし 水飲ましたが一点見つめているだけ 横で様子みてるよ

15:26
巨峰完食 口開けただけみたいな食べ方
水もういいみたいな言葉がやっと出ただけ
また眠りに入った


16時半頃病院へ戻ると、TVあるソファにお母さんが座っていた。
私がいない間もほとんど寝ていて、
ふいに 『815円がなんとか…』 と言ったらしい。
巨峰は、目の前に出してみたら口を開けたので口に入れたけど
しばらくしても噛む様子がないので種を取ってあげて5.6個食べた、と。

二人で病室に戻ると、起きていた。

お母さんのセーターの袖に穴があいていたのでそう言うと、
『あきやすい』 小さな声でお父さんが言った。

入院してから一度も散発していないお父さんの髪はかなり伸びていて、
『お父さんけっこうロン毛似合うかもね!今セミロン毛だよ』 と言ったら、
『ビンボーロン毛』 とお母さんがかぶせる。
『ロン毛?』  とお父さん。

『お父さん、ソフトモヒカンにすんだよね!』 と言ったら。
『ソフトモヒカンいいねー』 小さい声だったけど、少し笑った。

お父さんは散発の話になると、ソフトモヒカンにする、と言っていた。
それでみんなが笑い、その場が和んだ。
もちろんほんとにする気なんてないのだけど。

そうやって話題を作るのが上手だった。
世代を超えたお父さんの冗談。
そこにちょっと、 “ソフトモヒカン” という今っぽさが入る。
そうすると若者とも話しが盛り上がることをお父さんはよく知っている。
“ツーブロック” とか言っちゃうとおやじギャグになってしまうけど、
かといって “エクステ” とか言うほど最先端じゃない。

ちょっと古い時もあるけど、いつも旬の話題を押さえている。


夕食前に、お風呂係りの大きい方のオバサン、通称デカオバが
おしぼりを持ってきて、相変わらずパワフルにお父さんの顔を拭いていった。

『イテテテッ』 お父さんはそう言いながらも少し笑っていた。

パワフル過ぎてヒヤヒヤすることもあるけどちょっとホッとするオバチャンだ。

11月11日(日)     悔しい。いろんな意味で

朝8時、今日は起きていて、ご飯も食べると言うのでベッドを起こしたら痛くてダメだった。

飲むヨーグルトでさえ吸う力がなく、1cm飲んだかどうか…

巨峰、 『いーねー』 

1個口に入れようとしたらお父さんが開けた口が小さすぎて入らなかった。
半分にしたけれど口に入ってもまったく噛まず、出してしまった。

やっとの思いで水を少し飲んだ。

巨峰を口から出してから、 『巨峰を高く売りてえんだよな。』
って、ウトウトしながらも昨日よりは少し話す気があるみたいだ。


『二千三百六十、二千三百六十…』 とずっと言っている。
昨日より金額が増えた。 巨峰の売り上げか?


『売り上げ?』 と聞いたらうなずいた。

“うわ言でもしゃべらないよりいいか”

この日の日記にそう書いてある。
いつしかそうなっていた。


そのくらい、元気がなかった。


今日は横浜マラソンがあるみたいだ。
以前、お父さんが散歩中マラソンを見た話をしてたのを思い出す。
話してみるけれど、まったく反応しない。


主治医が回診に来たけどいまいち反応がなく、
“深呼吸して下さい” と医者が言っても、深呼吸する様子はなかった。

『もうちょっと元気になるといいんだけどな。』
『頑張って』

   ・・・私に言われても。


ヒゲを剃ろうとした時、カズが来た。

今日もずっと左を向いたままだ。
私達の椅子は右側に置いてあるのに。
首が痛そうなので言うと、
『いてぇんだよな』 と言うがそのままだ。

昼はお粥を1/3食べた。
りんごジュースは吸う力がない。
昼過ぎにお母さんも来た。

私がお昼を食べている間にチビオバが来て、
『痛いの分かるよ、辛いよね。私も指先が痛いの(りゅうまちかなにかで)』
と話しかけてきたら
『悔しい。いろんな意味でね。』
と言ったらしい。
後でお母さんが私に涙目でそう話した。

今日、ルンちゃんからおばぁちゃんがデイサービスでラブレターをもらったという
メールが来て、それを話したらお父さんも笑っていたそうだ。

16時にカズと病室に戻るとお父さんは起きていて 、
買っていったパックのりんごジュースを半分くらい飲んだ。

『4つの目の魚とってくれ、一つ、二つ、三つ、四つ、と取って欲しいんだよ』
と指で数えながら言った。

夕食は、汁少し、お粥1/3、肉と茶碗蒸しを少し食べた!巨峰も4つ!
久々にお肉を食べているおとうさんを見て、嬉しくて
『お肉どう?』 と言ったら
『いんじゃないすか。』 だって。笑

ちょっとウトウトしているお父さんに顔を近づけたら急に 『ひっこめ!』
と言われてしまった。こんなことは初めてでビックリした。

夕方の看護士が点滴を変えに来て寝ていると思ったお父さんが起きていたのに
ビックリして 『あービックリした。』 と言ったら
『こっちがビックリだ!』と、なにかブツブツ言って怒っている。

さっきの私に対する対応といい、何か敵でもきたかのようだ。

夕方、カーペンターズから、昔家族でカラオケに行った時の話しになり、
お父さんが歌ってた歌の話しから、 『ルビーの指輪』だ!

しかもお店に取材が来てお父さんの歌がラジオで流れた、とお母さんが言った。
そういえばその時の写真をアルバムで見たことがある。

『そんなバカにするな』 と、別にバカにしてなんかないのに
今日はちょっと被害妄想気味だ。

続いて “TOP OF THE WORLD” の意味の話しをしてたら、
『世界の頂上。』 お父さんははっきり言った。
今日はけっこうぼんやりしてたので、
すごい冴えてるじゃん!と言って褒めてみたけれど、
“当たり前だ” と思ったかもしれない。

わたしのいとこのお姉ちゃんが伊勢崎町に引っ越して来た話をしていたら、
『そうなの?』 と、お父さんから聞いたのに、それも忘れちゃったみたいだった。

カズのトレーナーに書いてある英語を 『WIDE FIRE…』 と読んでいたら
お父さんはおもむろにカズのトレーナーを掴んで何か言っている。

何か上の方を手で仰いだり、カーテンを閉めて場所を確保する、ようなことを言っている。
かなり変なことを連発するけど、昨日より穏やかな表情だった。


夕食後、お母さんが一足先に帰るので、カズが 
『おかぁ送ってくるね。』 と言って一緒に出たら、その後 
『カズなんだって?』 と聞くので
『おかぁ送ってくるって』 と言ったらフネがなんとか…とまた世界に入っていた。

そしてすぐ寝てしまったのでカズに折り返してきてもらい、19時半頃帰った。
今日は、家族でかわるがわる、計4回デニーズにお世話になった。


お父さんが寝てしまったので黙って帰ってきてしまったけど、
今日は3人揃ってにぎやかだったから、目が覚めて誰もいなかったら
寂しいだろうな…と心配になった。

11月12日(月)     祈るしかないです

平日の朝。いよいよ今日から休職と実感。

起きる時間も出る時間も変わらない。

相変わらずバスも混んでるしいつも見る顔。


退院のメドは立ってないけど、予定通り今日からお休みをいただくことにした。
あの悪夢のような “お母さん倒れた事件” が正夢にならないためにも。
なってもおかしくない状況だから。

そしてこれでお父さんがいつ帰ってきてもずっとそばにいれる。
会社の皆様、心から感謝致します。
私たち家族に安心をくれてありがとう。


さてさて、さすがにバレるかな:
8時、目が開いていたので 『おはよう』 と言ったけど反応なく、すぐ寝てしまった。
寝ていたので朝ごはんもパス。
ヘボ男回診。 起きない。

今の状態が病気からきてるのか精神からなのかを見極める必要があります。 と。
精神科の医者の件は進め中とのこと。

昨晩、久々に興奮状態だったらしく、なるべく昼間は起きてるように、
  と寝ているお父さんを見て失笑して言った。

やっぱり昨日目が覚めたら誰もいなかったからかもしれない。。

ごめんね、お父さん。

睡眠のコントロールができたらとっくにしてるよヘボすけ。

医者はよく失笑する。
ヘボに限らず。
医者から見たらとっぴょうしのない患者の質問や訴えかのしれないけど。
かなり感じが悪い。


熱は平熱。ぐっすり寝ているのに掃除が始まる。
お父さんの顔の目の前のベッドの柵を拭く。
寝ている顔の横をコロコロで掃除する。
やらないと怒られるのだろうか? いたって事務的。

しかし医者や看護士に気を遣っていたお母さんの気持ちが分かった。
面会時間7時間前から毎日ベッドに張り付いている。
掃除するにも邪魔だろう。
ゴミ箱を取るにも邪魔だろう。

『掃除なんてあとでいいです!』 と言いたいところだけどそれすら言えない。
すみません。 と看護士が来るたび恐縮しながら出来る限り小さくなる。
出てけと言われないだけましか、と思うしかない。

検圧で目を開けたのでお父さんが向いている左側に回って 『水飲む?』
って声をかけた“う〜ん、イマイチ”って顔をした。でも顔は穏やかで、
手を握ってまたすぐ眠った。

明日はお風呂なので今日は軽く体を拭くというのでその間に巨峰を買いに言った。
部屋を出ようとした時、看護士さんに声を掛けられた。

『私も一年前に母をガンで亡くしてるので気持ちよく分かります。
何かあったらなんでも言ってくださいね。』  と言ってくれた。

下手な慰めよりもよっぽど気持ちの支えになった。
何かあったらこの人に相談してもみようと思った。

病室に戻ると、お父さんはけっこうさっぱりした顔で起きていた。
『まーはおっかけマンなの?』
???  なんじゃそら。
聞いてみたら昔流行ったらしい。 時代の違いかと思い、後でお母さんに
聞いてみたけどお母さんも知らなかった。 こればっかりは未だ謎。

『さぁ、いくか』

『どっか行きたい?』

『いきたくねぇ』

『なんで?』

『商売しているやつらに騙されそうだから』


『街歩いてて次はどこっていう自信がなくなってきたんだよなぁ。』

あるじゃんそういうの、といつものお父さんに言い方。
まさに今の心境だろうか。。


『花火はいつ?』

『今冬だからまだだいぶ先だよ、 見たい?』

『いや、金返ってこねえかなと思って』


空爆がなんとか…と、途中まで話して、
『やめた、ここは日本じゃないから。』 と言う。

どうやら今日も in china で、点滴を引いて廊下を歩く人の音を聞いて
『中国人の歩き方だ、ペッタン、ペッタン…』 確かにスリッパが床に
くっついてそんな音がする。 中国人との関係はよく分からないけど。
そして、事故とか飛行機とか言う。


『行くか。』 当たり前のように言う。

『あと10分でお昼だよ』 私の答えはいつもその場しのぎ。

『お昼食ってからにしようっての?』

『図々しいヤツ』 だって。笑


汁を5さじ飲んで、『ぼくはもういいや』
言い方はいつものお父さんそのものだけど、お父さんの分なんだってば。笑
『食うもんあんの?』 って、めずらしく私のご飯の心配をしている。
その後お粥少しとお水を飲んだ。

点滴を変えに看護士さんが来てる時に咳き込んでいたので
『お粥苦しかった?』と聞いたら
『そんなんじゃない。この人にいじめられただけ。』 と、
看護士がとばっちりくっていたけど 『あっわたしのせい?』
と、慣れたもんで、まったく動じやしない。

巨峰5粒とポットの水を一気飲みして、 『水はこんな味?』
みたいなことを聞くのでまずいのかと思って 『久々にポカリ飲む?』 と聞いたら
『事故以来ポカリは止めた』 と、どうも今日は治安が悪い。

お母さんも来て、タンをいっぱい出してハミガキ。 機嫌よし。

お父さんの爪がだいぶ伸びていたので
『じゃあお母さん爪切ってね。』 と病室を出ようとしたら、
『ぼくは行くよ』 と、お母さんを置いて今にも一人で出掛けそうな言い方だ。


私が病院を出た後、お母さんは主治医に呼ばれ、言われた。

前に前例があったにも関わらず精神科の医者はなかなか見つからない。
放射線は1つの病院は放射線治療用の入院ベッドがなく、
お父さんのように通院できない人は治療が受けられない。
もう一つは放射線治療室の改装があるので受付は来年から。


『じゃあどうすればいいんですか?』




『祈るしかないです』



・・・これが医者の言葉なのか。


手の施しようがありません、とかよくドラマで聞くけれど、
それよりはマシな言い方と思うしかないんだろうか。


追い出されないだけマシと思うしかないんだろうか。


医者にそう言われた私たちは、一体どうしたらいいのだろうか。




16時半頃病室に戻る。
お母さんが爪を切ろうとしたらお父さんは怒って振り払った。
その後だましだまし、左手だけ私が切った。

何か上をじろじろ見て、カーテンを後ろへやったり、作戦を立てる顔をして
『おかぁはつっかえねぇからな』 だって。笑 
怒られたのにお母さんは嬉しそうだった。
それからあっちに行ってみろ、とか、いろんな指示がきたので言う通りにした。


夕食は汁少し、お粥に鮭を入れて2/3、お茶、とけっこう食べた。
カズが来て、夕方の看護士が点滴を変えたら詰まってしまって
しばらくバタバタしていた。


『A、B、C、Dって順番に入れてってくれる?』
昨日は数字だったけど今日はアルファベットになった。


ハミガキが終わり、ハミガキ係りのお母さんが流しに行ってる間に、
『つっかれるなぁ〜おかぁペース』 とお父さん。笑

チェックのため、舌出してといったらちょっとしか出なくて、
みんなで長い舌を出し合ってたら

『ぼくはウソつかないから』 だって。笑


そしてまた作戦を立て始め、 『飛行機のキーは誰に預ける?』 とか言っている。
カズに話しをふったら 『カズがいじわるそうな顔して笑ってる』 と、
そんなことはなかったけどあきらめたようだ。


そしてまた両手を出してひっぱって、と言った。
今日は機嫌もよく、なぜかその時は思わず手を取って力だけ入れたら
『遊びでやってんじゃねぇ』 と怒られてしまった。

お父さん、いつもごめんね。。

お父さんは今度、お母さんに頼んでいた。


今日はお父さんがいっぱいしゃべるので一度デニーズに行ったカズが戻ってきた。

お父さんの手あったかいね、とみんなで話したら
『こころもね』 だって。笑

すっかり目が冴えていたけど20時で蛍の光が鳴ってしまい、
『鳴ったから帰るね。』 と言ったら
『学校だな』 と、今日は冗談連発だ。

今日も一日にぎやかだった。

帰るときも目が冴えていていたし…

お父さん大丈夫かな。。



お父さんが元気がない日の夜、家に帰って不安でいっぱいになる。

でもお父さんがこうやって冗談を言ってみんなを笑わせている日の夜、
いつかこの冗談が聞けなくなる日が来るかと思うと、
元気がない日よりも、悲しい思いでいっぱいになる。


そんなの、絶対に耐えられない。

11月13日(火)     イタイイタイシール

この生活じゃあまりにも一日座りっぱなしで
運動不足なので今日からせめて階段を使うことにした。

朝8時。今日も起きていた。
『戦争だ』 と、今日も治安が悪い。

お父さんの部屋の隣は流しで、ちょうどお父さんの頭の上は
壁を挟んでステンレス製の洗面台になっている。
そして何か落としたりすると反響してけっこうすごい音がする。

お父さんは動くことが出来ないので聴覚がとても鋭くなっていた。
“戦争” はこのうるさい音からきているのかもしれない、と思った。


今日もうわ言が多く、布団を左に寄せたりひっぱったりしていた。

そして、イチニノサンで起き上がろうとして腕に力を込めていた。

差し出した手を誰もひっぱってあげないから、自力で起き上がることにしたんだろうか…。

もちろん腰に力が入らないお父さんは少しも起き上がれないけれど、
精一杯腕に力を込めているのが私には分かった。


カメラがなんとか…と言ったり
空中を指して 『ここに入れちゃってよ』 といった。
意味は分からないけど、この言い方がいつものお父さんだ。

わたしは人質に取られているようなことを言うので、
『じゃあここなら安心だね。お父さんと一緒っだから。』と言ったら
『どーかな、足が動かねぇからな』 と言った。



『あの山のてっぺんにおまえとおまえのダンナと…そのあたり』 ふいに言った。

『誰のダンナ?』 と聞いたら
『おまえの』 とお父さん。

???

『わたし独身なんだけど?』

『そーだっけ?』 あっけらかんと言う。

『お父さん結婚式でてないでしょ?』

『ウン』 



お父さん、その人はどんな人ですか?

どんな顔をしていましたか?

やりきれない想いでいっぱいです。



回診時、お父さんは久々に起きていた。
『痛みは10のうち、いくつ位ですか?』
『8くらいは痛い』  お父さんは答えた。

びっくりした。
このところ、お父さんは寝ていることとうわ言が多くなったけれど、
なぜか痛いと言う事も減っていた。
動くと少し痛がったけど、前よりも穏やかになっていたから。


痛み止めを増やすという医者に、私は動かなければそんなに…と付け加えた。
お父さんがこれ以上もうろうとしてしまうことが心配だった。

動くときの痛みはなかなかとれないそうだ。

じゃあもう少し様子を見ましょう、という事になった。



朝は汁3さじ、柿1/8。 昼は汁3さじ、りんごジュース半分。
飲み物を一気飲みしてくしゃみのように咳き込んだ。

お母さんが来て 
『頭下げる?』 と聞いたら
『うるさい!』 と機嫌が悪い。
今日はめずらしく 『ビール』 と言って私の手を飲もうとしていた。


お母さんと交代して一度家に帰った。
お父さんはその後も毛布をガウンのように羽織ろうとしたりしてたそうだ。
そしてお風呂に入っておしりも診てもらい、わりと元気そう、とのメールがきた。


16時半頃病院に戻った。
『いい湯だった?』 と聞いたら
『いい湯だったよ』 と言っていた。


お風呂で貼っているモルヒネが外れてしまったようで、看護士が新しい薬を持って来た。
そしてそれは10mgに増えていた。

もう少し様子をみるという話しになっていたので、私達はストップをかけた。
医者の指示で持って来た看護士は困ってしまい、そこでもめていると

『おまえらジャンケンして決めろよ』 と、人事のようなお父さん。
相変わらず絶妙な明るい冗談にその場が和んだ。


看護士が医者と一緒に戻ってきて、
『増やした方がいいです』 と医者に言われた。

私たちだって絶対に反対なわけではない。医療のことは分からないし、
お父さんが痛いのであればもちろん対処して欲しい。

そして医者はこんなにももうろうとしていてもやっぱり本人の意思を尊重している。
まあ当然だし、痛みは本人にしか分からないので大切なことだと思う。

ただ、心配だった。 お父さんが、私たちが分からなくなってしまわないかだけが。

お父さん本人に聞いてみたら、
  『貼る分にはかまわねぇよ』 と、
これがなんだか分かっているのか分からないけれど、本人がそう言うのでお願いした。


『イタイイタイシールって書いとけよ。』
と言ってお父さんはまたみんなを笑わせた。


『社会情勢も分かんなくなってきたな。医者があんな風にきてなんとか…』 
と、また不思議なことを言った。

そうこうしているうちにお父さんは寝て、17時頃お母さんは買い物に出た。


この時斜め前にお父さんと同じストマの手術をしたばかりのおじさんがいた。
お父さんのいとこと同じ、茂さんという名前だった。

朝の回診で “昼からおもゆを出すから練習のつもりで食べてみて” と医者に言われ、
茂さんはけっこう楽しみに待っていた。

しかし昼には何も出ず、看護士に聞いたら
“今日からお水はOKで、おもゆは明日かあさってか…近いうちに…”
と言われていた。
水は昨日からOKなんんだってば、と私は心の中で思っていた。
おじさんは 『あぁ、そう。』 とやさしく答えていたけれど、
夕方お見舞いに来た奥さんにこの文句を言っていた。

本当にこの病院は連絡が悪い。
ちゃんと伝わってるのは夜中に寝ないで暴れた時だけだ。
あのおじさんは “治る” から、 “希望” があるからそれでも
我慢してやさしくその場を取り繕う。

前に手術で入院していた時は、私たちも文句を言わない感じのいい
あんな患者と家族だったかもしれない。

今は小さいことの一つ一つがお父さんの命に直結している。



お父さんは一時間位寝て18時頃目を覚ました。

夕食は汁フタ2杯、りんごジュース1/3。

少しウトウトしてたけど19時半頃に先にデニーズでコーヒーを
済まして来たカズが来てお父さんも起きた。

なんと、毎日駐車場のために嫌々飲んでいたコーヒーが60円も値上げになったという。
『オレのせい?』 というカズに、
『犯人です』 って指をさしてお父さんが言った。

みんなで、笑った。


よくお父さんが散歩ついでに見に行っていたカズの仕事現場の風車の話しや、
家の裏にまた新しく家を絶てている話しをしたけれど、あまり反応がなかった。

いつも嬉しそうにお父さんが話してたカズの現場…
自分ちでもないのに毎日観察して“オレより詳しい”とカズを驚かせた
近くの家が建つ過程…

話しに乗ってこないのが不思議なくらいの話題に反応しない。
こんな時、お父さんは何を考えているんだろう。。

また20時の音楽が鳴って私たちは帰った。
お父さんは手を振ってくれた。


家に帰ると社会保険の書類が届いていた。
復帰したらまとめて払うように、とのことで一ヶ月3万以上。
コーヒーは値上がるし。
無職になったとたん、請求ばかり。
世の中は厳しい。。

11月14日(水)     複雑な想い

『そのうちおかぁもおねぇも分かんなくなっちゃうのかね』 

今朝、お母さんが言った。

『そんな感じだよね』

私もそれだけが心配だった。


昨日からまたモルヒネが増えた。
“Life” の飯島夏樹さんも、モルヒネというとみんな嫌がるけど、
どんどん使って欲しいと言っていた。
それほど、 “痛みをとる” ということは大切なんだと思う。

でも言ってから思い返した。
昨日も私のことをちゃんと認識しているか心配な時があった。
昨晩も不安だった。
でも私たちに見せる顔は、明らかに医者や看護士が来た時とは表情が違う。
もうろうとしていても、きっと空気で感じているはずだ。

白い服を着て病院へ行くのはやめた。
明るい色の服を着よう。

そう決めた。


今日はいつも以上にバスが混んでいる。
健康のためにも明日から自転車にしようか…と考える。
8時すぎ、まるたんぼ(みたいな枕)が右側に入っているのに
お父さんはやっぱり左を向いている。
顔を覗き込んでもほとんど反応がなく、ベッドを起こしても痛がらなかった。

朝は汁とお粥をフタ2杯ずつ、柿を一口。
お茶を半分一気飲みしたら 『イテテテッ』 と痛みがきた。
飲み物が通っても痛いんだろうか。あったかいのに。。

食後に点滴を持った看護士が
『これって食前ですよね?』 と言ってきた。
最近は朝食時にベッドを上げるだけでも痛がるようになったので、
痛み止めの点滴は食前に変更されたんだった。

私がそう言うと、確認します、と言って帰って来た看護士は
『すみません、徹底されていませんでした』 と言った。

一体いつになったら徹底するんだろう。
なんで腹を立てなくてもいいところで腹を立てなきゃいけないんだろう。

私たちは日々命がけなのに。


朝食後、体位を変えてからずっと寝ている。
時々目を開けても一点を見てぼーっとしている。
時々、車椅子を指さした。

病棟に一つしかないリクライニングの車椅子は、いつしかお父さん専用となり、
お父さんの病室に常駐していた。
お父さんの強い意志が、みんなを動かした証拠だった。


今日、1階にクリスマスツリーが飾られていた。

車椅子に乗れたら・・・

お父さんにクリスマスツリーを見せてあげたかった。



くろんぼのところに何回か、私は初めて見る医者が医者が来た。
お父さんは今日はあまり話さないので、 『知ってる?』 と聞いてみた。

『あいつらに任せてダメならしょうがないじゃん』 と言った。
言った?気がした。 

 ・・・自分のこと??


主治医が回診に来ても反応なく、
『明日は笑った顔見せて下さいね』 という医者に小さな声で 『ハイ』 と答えた。


以前は回診の度に鋭い質問を投げかけるお父さんに、医者はみんな逃げ腰で、
極力お父さんのそばにも寄らず、上半身が沿って見えるほど離れ、
さっさと病室を出て行った。

たまたまお父さんが寝ていると、ホッとしたように
『あぁいいんです、いいんです、起こさないでください』 と言って逃げていった。


お父さんが “うつ” と言われて以来、医者は反応のないお父さんの顔を
覗き込んで見るようになった。


いまさら。やさしい言葉をかけるのが医者ではなく、
患者と正面から向き合うことがあなたたちの仕事じゃないんですか。



その後お父さんはずっと寝ていて昼も食べず、私はお母さんと交代で家に帰った。
その間も寝ていたようで、熱が8.2℃あるとメールがきた。

16時半頃戻るとお父さんは朝よりも苦しそうで、熱も8.6℃と今までで一番高かった。
このところ熱が高く、体内でガンが暴れていると熱が出る、と聞いてから
熱には油断できなくなった。

カズが来ておでこに冷たいタオルを当てた。
タンが絡まっているような呼吸で、熱は8.9℃まで上がった。

あまりにも呼吸が苦しそうなので夕方交代した看護士に
『熱が高くて苦しそうなんです』 と言ったら、

看 『解熱はクールダウンしかでてないから』
私 『クールダウン?』
看 『水枕。 今持って来ますから』

なにその言い方。

夕方の点滴は19時半だけど早めようかなみたいなことを言っているので、
『17時半に変わったみたいですよ』 確信していたけど気を遣って言った。

『今持って来るから』

そう言ってナースステーションから戻ってきた看護士は無言で点滴をつけた。
そして 『これに解熱効果あるから』 と言った。

点滴には、【17:30】と書いてあった。


さも素人は黙ってなさいよ、というような態度。
都合のいい時はニコニコしてて機嫌の変動が激しいニコプリ女。
まるでわたしの姉か?と思うような口調。

しばらくしたら点滴の効果か眠ったので、そっと帰った。

本当に看護士なんて当てにしていたら殺されてしまう。
17時半の点滴も見張ってるべきだった。ごめんね、お父さん。

11月15日(木)     もう落ち着くことは、ないです。

今日から自転車にしてみた。
8時を3分過ぎてしまって早足で病室に向かった。
すると病室から主治医が出てきた。

『呼吸がおかしい。肺炎かもしれない』
 
何が起こったかた分からなかった。

『今レントゲンを撮った。
ただの肺炎ならいいけど、ガンが大きくなってるとしたら一気に悪くなるかもしれない。』


『危険な状態です。』

頭が真っ白になった。


お父さんは酸素マスクを付けられて苦しそうに息をしていた。

看護士が痰を取る。


ただただ呆然とした。


“お父さん、大丈夫だよ、大丈夫だからね”

根拠のないは言葉は、ただ宙に浮いてしまう。


昨日、カズが痰を取ってもらった方がいいと言っていた。
医療のことは分からないし、看護士のあまりの圧力に押されて
言わなかったけれど、カズの言う通りだった。


お母さんに電話した。

『肺炎かもしれないって』 精一杯泣くのをこらえて言った。

『取り乱すんじゃないよ。泣くんじゃないよ。』

自分に言い聞かすようにお母さんは言った。

でも “えっ” というお母さんの不安そうな第一声が今でも忘れられない。



病室に戻ると医者はいなくなっていた。



あぁ、なんで昨日痰を取ってくれと看護士に言わなかったんだろう。

お父さん、ごめんね。また苦しい思いをさせてしまった。

やっぱりカズが言うように痰が絡まってたんだ。苦しかったんだ。

後悔してもしきれなかった。



ゆっくり静養できるように個室に移りましょうか。 看護士に言われ、
そうしてもらえるようにお願いした。

お母さんが来た。

“大丈夫、お父さんはおじいさんじゃないんだから、すぐに負けたりしない”

唱えるようにお母さんは言った。


ボスが来て言った。
医 『レントゲンでガンが大きくなっています。危険な状態です。』

母 『また落ち着くことはないんですか?』

医 『ないです』



ないです。


落ち着くことは、
ないです。



さっきまで私を励ましていたお母さんは、私の後ろで泣いていた。



どうして。

どうして。

どうしてだれも

『癌がなくなりました。 奇跡です。』

そう言ってくれないんだろう。

私は信じてる。 きっとそう言われることを。

一体いつまで、どん底へ落とされるのだろう。

一体いつになったら、そう言ってくれるんだろう。

一体どれほど、苦しめばいいんだろう。




ベッドごと個室へ移動した。

目を開けても私もお母さんも認識していない目をしている。
今日はお母さんが泊まろう、なんとか気を保とうとして明るくお母さんと話した。

人が苦しんでる時に笑ってるなってお父さん怒るかな、と言いながら。

熱は9.6℃あった。


お昼すぎ、ちょっと呼吸が落ち着き、お父さんも寝ていたのでちょっとだけ家に戻った。

家で大声で泣いた。

“お願いだから、元気になって” 何度もそう言って。


自転車なんかに乗ってる場合じゃなかった。
せっかく休暇がとれたのに、早く働けってことなの? お父さん。

私の日記帳はまだ半分も埋まってないのに。

次はどんなノートにしようかと考えてたのに。

どうして… どうしてよ。

お願いだから元気になって。

お願いだから。

お願いだから。




病院に戻り、お母さんが泊まる準備に家へ戻った。



お父さんと二人っきりになってすぐ、火災報知機の非常ベルが鳴った。

初めてではなかった。

前は、地震がきたらみんなつぶれちゃえと思った。

火事になったら、お父さんと逃げることよりも、

お父さんにへばりついて、一緒に燃え尽きてしまいたかった。


でも今、もし、このベルが本当に火事だったとしたら、
私は絶対にお父さんと一緒に脱出する。

例えだれも手を貸してくれなかったとしても、

お父さんの体重が100キロだったとしても、

絶対に持ち上げられる自信がある。

絶対に、お父さんと一緒に逃げる。


もうろうとした頭で、何かあったら脱出するための作戦を考えるお父さんを見て、

生きようとするお父さんを見て、

私はそう思うようになった。




清掃業者が、高い所を拭きにきた。

お父さんは肺が悪いのに。

命を預かる病院は、いつだって、事務的だ。



回診には御一行で様子を見に来て、微かにだけどお父さんも反応していて
看護士の問いにも 『はい』 と答えていた。

目がさっきよりはっきりしていて、手をぎゅっと握ることで私に反応していた。

少し眠り、解熱の点滴がきて少し落ち着いてきた。

カズがきて、お母さんも戻ってきて家族が全員揃った。
さっきよりさらにしっかりした目の時がある。



20時ぎりぎりまでいて、
『ほんとはまーが泊まりたいけど今日はおかぁに譲るから。

お父さんより先に寝たらすぐクビにするからね。』 と声をかけた。

タンに混ざった声だけど、お父さんは確かに応えた。


デニーズの駐車場を出ると、お父さんのいる個室が見えた。

『おとう頑張れ!』 カズが言った。

窓に向かってカズと一緒に叫んだ。



お父さんの足が動かなくなると知ったとき、こうやって話しができれば
それでいいと思った。

足なんかなくたって、そう思った。

でもこうしてお父さんが話しができなくなった時、こうして手を握り返して
くれるのなら、それで応えてくれるのなら、それでいいと思った。

話しができなくたっていい。

それでもいいから生きていて欲しい。

そう思った。

11月16日(金)     人生に疲れた

朝、お母さんからカズに電話がきた。
お父さんは元気で、腹が減ったと言っている、と。

そして妙にやさしいお母さんのことを “おかぁが気持ち悪い” と言っている、と。

お母さんあの口調でお父さんに近づいて話しかけたんだろうね〜
気持ち悪いだって、笑っちゃうね〜 とカズに言ったら、
『自分でタオルでおでこ拭いたってのがうれしいよね』 とカズが言った。

本当にそうだった。それは私たち家族にしか分からない喜びだった。

お父さんが自分でおでこを拭いたということが、
お父さんがどれだけ元気になったかを表していた。



8時に行ったらお父さんはっきりした顔で私に反応した。
病室に行ってすぐ、お父さんが反応してくれたのは久しぶりだった。

嬉しかった。 本当に嬉しかった。

『おかぁがいたからだよね』 とお母さんが言ったら、
“イッ?” という顔をして斜め上を見た。 

あの、いつもの、あの顔で。


お父さんは昨日のことがまったく記憶にないらしい。

『まいったなーなんにも覚えてねんだよなぁ』 と言っていた。



熱も6.7℃、酸素量は87で、酸素マスクはわずらわしいらしく、自分で取ってしまい、
腹減った、とにかくお粥が食べたい、と言っていた。

お父さんから腹減ったなんて言葉を聞くのはかなり久しぶりだった。

昨日から食事がストップされていたので、回診で先生が来たら聞いてみようと言っていた。

父 『医者がこねぇとお粥もこねえんだろ?』 と待ちきれない様子だった。
私 『巨峰とか柿ならOKかな』
母 『柿は消化に悪いよ』
父 『おーしょーかー』 
    
絶好調!!

早く聞いてきてくれよ〜と言うので廊下に出たら回診軍団を発見。
すかさず一番したっぱのエンジニくん(お父さん命名) に言うと、
『今ですか?』 と驚いている。

ボス、ヘボ、エンジニ回診。
なんとお粥はNG。 まずは水からにしろと言われてしまった。
機能が低下しているから誤飲しやすく、肺に直接食べ物が入ると
肺炎の原因になるそうだ。
命には代えられないのでそれじゃしかたない。

巨峰はOKが出たのでさっそく2粒。
お母さんは家に戻り、お父さんはその後コーヒーを飲んで
少し落ち着いたみたいだった。

うわ言だけどよくしゃべり、まーは個室とってないの?とか、
あとは港南の店(お父さんのお店)をどうするかだ。とか、
仕入れに行く約束している、とかやっぱり商売のことで
頭がいっぱいのようだ。

そして両手で私の腕を掴んでぽーんと遠くに放った。
何をしているつもりなのかはよく分からなかったけど、今考えると
仕分けでもしていたんだろうか…

父 『さ、行くか。』
私 『お粥食べてからにしようよ』 
相変わらずその場しのぎなことばを
『おーかーゆーを食べてからにしーましょ』とリズムつきで言ったらお父さんが私の真似をした。笑


様子を見に来たのかエラカンが来た。
何を言われたか覚えてないけれど、
私がなにか口を挟んだら、
『それじゃ失礼だろ』 とお父さんが言った。


    その後看護士が来て熱は7.3℃、酸素94〜95でOK!
マスクはわずらわしくて取っちゃうし、呼吸は鼻からしているので
念のための鼻チューブがきた。


あんまりにもうれしいのでこの回復っぷりをカズにもメールをした。
“へへへのへー!ざまーみろ!だね!よかった、本当によかった”
カズからも返事がきた。


せっかく食欲があるのにお昼もNGでがっくり。

代わりに点滴が増えて、次から次へとひっきりなしに点滴がくる。


『お粥がでないんじゃ帰るか〜』
そう言われたらもう何も言えない。
でもお父さんは前みたいに四角い目をしてなにがなんでも!という
姿勢をとらなくなった。
良くも、悪くも・・・


お父さんの頭側が窓側で、外は道路なので外の音がよく聞こえる部屋だった。
『ピコーン、ピコーン左へ曲がります』 という音に
『誰か来た。ピコーンっていってる』 と反応した。


お父さんの足側はドアで、目の前にナースステーションがあって
声が聞こえてくる部屋だった。

そしてその話し声を聞いて
『なんだって?』 と言うので、
『ピンクモンスターだよ』 と言ったら、
ピンクモンスターいるの?と聞くので、
前はピンクモンスターの大群だよ。 と言ったらぎょっとした顔をして
『じゃあぼくは相当怒られるの?』 だって。

まぁ、確かに怖いよね、モンスターの大群は。笑


結局お昼も食べれずお父さんは眠っていたので
見つからないようにこっそりおにぎりをかじっていたら
具にたどり着く前に目を開けた。

ドキッとしたけどまたすぐ寝た。
そしてこの日記を書いていたらまた起きたのでそばに行って手を握った。


さっきまでとはまったく顔つきが違う。

大きく目を開けてなにか考えている。

そのまま2人、しばらく黙っていた。




『おとうはつかれた。』


『疲れた?頭下げる?』


そんなことじゃないと分かってて聞いたと思う。





『そういうんじゃなくて  ・・・   人生につかれた』


はっきりと、お父さんはそう言った。


はっきりとした顔で、はっきりと、お父さんは言った。



  人生につかれた。


『こんなに元気になったんだからそんなこと言わないでよ!』

黙っていたら涙が溢れそうだったので必死に話しかけた。

『楽しく仕事しすぎちゃった?』



『それはあるね』

  ・ ・ ・



『これ、コピーしたの?』

i−podから流れていたカーペンターズ。お父さんは自分から話題を変えた。

その後少し変なことを言って、しばらく黙って、言った。



『なんでもいいから自由になりたい』

『ここで何してんのか分かんねえ』


四角い目じゃなく、遠い目をしてお父さんは言った。

『ほんとだね、ほんとだよね。』

それしか言えなかった。

気の利いた言葉も浮かばない。

『早く “さとちゃん” 書かなきゃじゃん』
 

それじゃ早く死んじゃうってことじゃん…みたいなことを言った。
お父さんにとって、 “さとちゃん” は、人生の最期に書くものだと知った。


ベッドから出れずに自由になれないお父さんにできること。
何かやりがいがあるもの。
そういうつもりで言った。

とっさに浮かんだのはそのくらいだった。




それから腹減った…と言い、茂(いこと)がなんとか…というので
昨日お母さんが持って来たアルバムを見せたけどあまり反応しなかった。

けれどそこにお母さんが来て、またアルバムを広げたら
お父さんはすごく興味ある目でアルバムを見ていた。

お父さんと、お父さんのお母さんが並んでいるいい写真があって、
『いい写真だ』 と、とてもやさしい顔をして言った。


『愛情が溢れてるね』 と言うお父さんに、
『本当だね』 と答えたら、
『なんで否定しないんだよ』 ってたたかれた;
冗談で返すとこだったんだ; だって本当にいい写真だもん。


そこからお父さんとお母さんは従兄弟や兄弟の話で盛り上がっていたので
巨峰を買いに外へ出た。



巨峰、桃の缶詰、小さいバームクーヘン、アイス…
お父さんが食欲があるのが嬉しくてついつい買いすぎてしまった。


でも、お父さんの言葉が頭から離れなかった。


人生につかれた。


自由になりたい。

人生につかれた

   ・
   ・
   ・

病室に戻ると、回診で少し食べてOKになったとのこと。
ヒゲも剃ってさっぱりしていた。

買ってきた桃缶を小さく小さく切って食べた。
お父さんが眠ったので、泊まる準備をしに家に戻ることにした。

帰り際に、お父さんの言った言葉をお母さんに話した。
とても、わたし一人じゃ抱えきれなかった。

このままじゃお父さんはどんどん悪くなってしまう。
何かできることはないのか。
今からでも抗がん剤をやることはできないのか。



お母さんは言った。


私たちは医療のことは分からない。分からないからそれは医者に任せるしかない。

人の命は誰にも決められない。

医者だって人の言葉。

医者だって分からない。

もうこれは神様の領域。

その時が来たらそれは受け入れるしかない。

あとは気持ち。 気持ちしかない。

だから私たちはお父さんのそばにいよう。

それが私たちの一番の誇りなんだから。

お父さん自由にしてあげられないけど、大切なものを最後まで持っていればいいの。

なんにもできないんじゃないの。それが一番大切なことなの。



帰り道、お父さんとお母さん言葉が交互に頭を駆け巡った。




人生につかれた。

大切なものを最後まで持っていればいい。

なんでもいいから自由になりたい。

一番大切なもの。

    ・
    ・
    ・


そうだ、医者にもう落ち着くことはないと言われたけどお父さんは復活した。

そうだ、医者だって分からないんだ。

お母さんの言った通りお父さんはそんなにすぐ負けない。

そうだ、こんなに元気になった。

昨日あんなに泣いて、お父さんに失礼だった。



お父さん、辛いけど両方は選べない。
一人で自由になるか、なにかと不自由だけど私たちみんなのそばにいるか、
お父さんは私たちといる方を選んでくれるよね。


大切なものを最後まで持っていればいい。
一番大切なもの。



戻る時には何度も心でそう想って病院へ向かった。


『ヨーグルト買った?』 とお母さんが聞いた。
ちょっと期待した顔のお父さんを見て首を傾けて『もちろん』という顔をしたら
お父さんがまったく同じ動きで返してきた。笑

ヨーグルトを少しずつ食べて口をゆすぎ、20時過ぎたのでお母さんとカズは帰る。

『うちのNO.1 置いてくからね』笑 というお母さんに
『ハーイ!』 と私が手を挙げたら
イッ?て顔をした。いつものあの顔。笑



おねぇはおしゃべりだからお父さんが眠れない、とみんなに注意されたので
手を握って静かにしていたらしばらくしてお父さんは眠った。


21時過ぎに少し痰が絡むので取ってもらい、熱が8℃あるので体を冷やした。


痰をとる時に 『ゴホンゴホンってしてください』 と言われたら
お父さんはチューブを取った後に
『ゴホン、ゴホン』 だって。笑

それからはずっと起きていて天井をキョロキョロと見ていた。
あの、“カリフラワー” の時の目だった。

外で工事をやっていてけっこう音がうるさかった。
聴覚が冴えてきたお父さんには気になると思い、
『カーペンターつけよっか?』 と聞いたら 『いいよ』 と言うのでつけた。


何歩かの距離でお父さんの隣の椅子に戻ってきたら
『誰だおまえ』 そう言われた気がして驚いて
『わたし?まーだよ。まーじゃん。お父さん分かるよね。』 ちょっと慌てた。

『分かるよ』 確実に分かっている、やさしい顔をして言った。


父 『まーは看護婦じゃないの?』

私 『まーは看護婦じゃなくて手袋屋じゃん。お父さんの娘は看護婦じゃないでしょ。』

父 『おとうの娘はなんでもいいや、稼いでくれれば』 だって。笑
お父さんらしい。


それから “まーは個室とってないの?” とか、 “どーなってんだここは” 
と言ってキョロキョロしていた。


お父さんの腹の虫が鳴った。


時々水を飲むのにけっこうベッドを上げていて、上げ下げが痛いので
しばらくそのままになっていた。


寝るには辛そうな体勢に見えたので何度か 『頭下げる?』 と聞いた。


『このまま死んじゃいそうな格好?』 いきなりそう言われ

『ぜんぜん!ぜーんぜんそんな風に見えない!今にも起き上がりそうな格好!』

必死でそう答えた。


『じゃーいいやこのままで。』 平然とした顔でお父さんは言った。

このままじゃ、と言ったんだろうか…いや、このまま、と聞こえた気がする。。


私が近くにいると落ち着いて寝付けないのかと思い、簡易ベッドで横になってみたけど
一向に寝る気配なし。

隣に座りつつ、私がウトウトして、パッと起きて 
『まーが寝ちゃったよ』 と言ったら
『まーが寝ちゃ問題あるの?』 だって。


1時頃看護士がき栄養点滴を持ってきた。
看護士行ったあと、
『あいつが変な格好のビンを持ってきた』 とお父さんは言った。
何をどう聞き間違えたのか。
『あいつが好奇の目で見る』 と聞こえて
一瞬ビックリしたけど、お父さんはよく見ていた。


私が時々自分の腰を叩いてたら、 『こし?』 と聞いた。
それからパッと目を開けて目があったので、
『ん?』 と言ったら、 『ん?』 と返された。笑

そして 『手が弱ってきた』 とも言った。


けっきょく4時半頃やっと寝たのでお父さんと一緒に私も眠った。
6時半頃起きたらお父さんはまだ寝ていた。
布団をはいで、自分でやったんだろう、浴衣の紐が外れていたので
布団を2枚かけて私もまた寝た。

11月17日(土)     いーねー

7時半に目を覚ましたらお父さんはもう起きていて、
『つっかれたなー』 と言った。
『福島にフネが着いた。 どういう意味かは分からないよ。』 と言った。


本当にどういう意味かは分からないけど、
言葉の付け加え方がいつものお父さんそのものだった。


8時過ぎ、熱7.8℃で体を冷やした。酸素は99でOK


私 『お父さん寝てないね。お腹すいた?』
父 『お腹すいた』
私 『腹減って寝れないね』
父 『それは大きいね』


8時半にお母さんが来てヨーグルトを少し食べてハミガキ。
9時半頃私は家に戻った。

朝帰ってお風呂に入って夕食の支度をして夕方病院へ戻ってお母さんと交代。
これが新しいサイクルになった。

昨日、お父さんはせっかく食欲があるので、お母さんが汁はOKか聞いたらNGだった。
同じ水分なのに?不思議に思って聞いたら汁は塩分があるから水とは違うらしい。

医者によると、水以外は気管支に入ったら肺にすぐにいって肺炎を起こすらしい。
気管支は骨だから口が開いてると入りやすく、食道は飲み込む時だけ開くそうだ。
いずれにしろ、機能が弱くなっているから安心できない状況に変わりはないらしかった。


しかしそのやりとりが利いたのか、朝の回診で 『食べたいですか?』 
と本人に直接尋ねられ、お昼から少しだけ出ることになった。

お昼は汁とお粥を5.6さじずつゆっくり食べてお茶、
『いーねー』 と言って
満足してハミガキ後、ぐっすり眠ったそうだ。
やっぱりお腹が減って寝れなかったのかな。


16時頃病院へ戻る。
体も拭いてもらい、着替えたけど痛かったらしく機嫌が悪かった。
『痛かった?』 とお母さんが聞いたら 『そういうんじゃなくて』 と言った。

『そういうんじゃなくて』

今どきの言葉でいえば 『てゆーか』 に当たるのかもしれないこの言い方は、
お父さん独特の言い方で、けっこうよく耳にすることに、入院してから気がついた。


お母さんは泊まる準備で家に戻った。
18時前、昼に8.3℃だった熱は7.2℃に下がったので、足の付け根と脇の氷を外した。
血圧は高い。昼に一度、痰をとったようだ。

水を少し飲んで目は開いているけどおとなしい。
何か考えているのか、右側のネームプレートや天井をじっと見ている。
前の部屋ではネームプレートは頭の上にあってお父さんはあまり目にすることが
なかったと思う。
自分の名前、入院日、手術日、主治医、担当看護士 
  それを見てお父さんは何を想うのだろうか。

入院日:9月4日 
  今が何月何日で、この日からどれくらいの月日が経ったのか、
お父さんは分かっているだろうか。
ここはどこだ?病院なのか? そう想うのだろうか。

お父さんのが右を向いているので私も右側のベッドと壁の狭い間に置いた
まる椅子に座ろうとしたらお父さんが左を指したので
『そっちに行った方がいい?』と聞いたら
『ううん、いいよ。』
といったのでそのまま椅子に座った。


父 『ダンナが一人と何匹生むの?』

私 『・ ・ ・わたしが?』

ちがうよっていう顔をしてお父さんは笑った。

『おやじのところに7人いて、あとは知らねえよ。』 と言った。

子供の頃、おやじ=私のおじいちゃんのところに孫が集まる時は
全部で7人だった。  関係あるのかは分からないけれど。

そしてしばらく黙って、何か言った。
この頃になるとお父さんの声はだいぶ小さかったので、
よく聞き取れず、私が聞き返すと、お父さんはゆっくりと言った。

『いるものはあるのか』

『ウクレレが欲しいな』 とうとつだったけどそう答えた。

またしても声が小さくてよく聞こえなかったけど、
『おとうの名前で二匹頼んでいいよ』 と言った。
さっきからなんで “匹” なのかよく分からないけど
いくらするかな〜とか言いながら、お父さんの名前で1匹頼むことに決まった。
『そしたらピアノと両方できるなー♪』 と私がはしゃいでいたら、
『そのピアノってのはぼくはよく分からないけどウクレレなら ・・・』 
最後の方はよく聞き取れなかったけど、お父さんはピアノのことも
もうよく分からなくなってしまったみたい。
ちょっと寂しかったけど、きっとまた話してたら思い出すだろう、と思った。

夕食で汁を一口飲んで、『はーっ』 と、久々にうまそうに飲むお父さんを見た。
5さじ飲み、
私 『お粥は?』
父 『お粥もいーねー』
3さじ飲んですぐコーヒーを少し飲んだ。
『すごい組み合わせだね。』 と言ったら
『前からだ』 と言われた。
たしかに!


カズがきたら 『おっ』 とお父さんが反応した。

カズは昨日から現場が桜木町から川崎に変わって、初の職長を務めることになった。
またしてもお父さんが乗ってこないはずがない話題。

カズが職長の苦労話をしてると『仕事ってそんなもんだ』 と言った。

お父さんが言うと、こんな当たり前の言葉も実感と経験がずっしりこもった言葉になる。

カズが、今日はこれから結婚式の二次会に行くという話しをしたら、
『ぼくは呼ばれてないから行かなくていんだな。』 と言った。
別に呼ばれてない被害妄想的な言い方ではなく、失礼に当たらないな、
というような言い方で。

『ここから桜木町の間だよ』 カズがそう言うと、
『桜木町?』 と、ぼくにはわからねえけど。という顔で少し笑った。

まるで、お年寄りに 
『六本木ヒルズ』 とでも言った時のように。
桜木町。お父さんのお得意の散歩コース。
でもきっと、また思い出す。きっと。

カズがチャリで行く、という話しから、
『チャリ乗ると、タイヤの空気がどんだけ大事かって思うよ。』 そう言ったら、
『思うよなー』 と、やけに実感のこもった言い方でお父さんは同意した。

覚えていることと、忘れてしまったこと・・・


お母さんが戻ってきた。
しばらく黙ったあと、 『えーっと…』 お父さんは何か思い出そうとしていた。
『ウクレレ?』 と聞いたら、 
そう、という顔で 『ウクレレ』と言った。

また少し考えてる顔をして 『いくらするの?』 と聞いた。
さっきは自分で3.千円くらいだろ、と言っていたけど。。
まあ5千円くらいかねーと言いながら、
『買ってもらうんだー♪』 と、お母さんとカズに自慢した。

二次会なのでカズが『じゃあ行ってくるねー』 と言うと、
『いってらっしゃい、気をつけてな』 とはっきりした声で言った。


個室に移動してから、打ち合わせたわけでもないのに私たちは自然と
『帰る』 と言わなくなり、 病室を出る時は 『いってきまーす』 と言った。

個室に移動してから、私たちはここを 『家』 のようにしていた。


ハミガキをして、少し汗をかいているので氷枕をして、
お母さんが手を添えていた右側い顔を傾けて眠った。


この個室はドアを閉めてしまえばとても静かで明るく、
蛍の光も聞こえず、ちょっとくらい遅くなっても大丈夫だった。
お父さんも、前の部屋よりは気に入ったみたいで、
『あとは金だけだ。』 と、お母さんに言っていた。

やっぱそこはしっかりしてるのね。笑

20時過ぎ、お父さんはすかっり眠っていたので私は黙って家に帰った。

11月18日(日)     寝て曜日

昨晩はあれからぐっすり寝たようだ。
お父さんも、お母さんも。

『今日は日曜日だからカズももうすぐくるよ』 そう言ったら、
『お土産があればいいや』 とお父さんは言った。


8時半過ぎ、朝ごはんに汁が付いてこなくて後から持ってきてもらった。

ハミガキするまでもないか、と思ってお母さんが
『舌ベーッてして』と言ったら
『ベロベロベロ〜』と言うお父さん。笑

歯を磨こうとしたら、 “トイレ” とお父さんが言う。
『お父さん、トイレ、ここ、ストマ、後で見ようね』 お母さんが言ったら
『見たくねえな』 と、やわらかい顔で言った。

ハミガキ後、 『じゃあ洗濯ババア行ってくるよ』 とお母さんが言ったら
『じゃあトイレじじぃだ』 だって。笑

お母さんが出て行ったあと、

『あとこの棚と同じくらいのやつをそっちにも・・・』 と、指を差しながら言った。
『じゃあ棚持ってこなきゃね。』 と私が言ったら
『棚をどっかから盗んでこなきゃ』 と言った。


個室に来てから景色が変わったせいか、何か別の作戦を考えているようだ。

『これ、あっちやっちゃってくれる?』

これ、あれ、 お父さんは昔っからこれ、あれ、が多い。
そして、 『〜してくれる?』 と、何かちょっとしたことを頼むとき、
とても丁寧にそう言う。


お父さんの手があんまりにカサカサで白い粉が吹くほどだったので
ニベアを塗ったら 『いい香りじゃん』 と言った。
男の人は香りなんかに興味はないと思っていたけど、
なんか殺風景で物々しい病院でのニベアは確かにいい香りだった。

入院前、お父さんの腰痛を、最近やり始めたアロマで治そうと思ったのを思い出した。

それからしばらく寝て、回診で起きた。
若医者、エンジニ + 看護士

医 『痛くないですか?』
父 『痛くない、苦しくない』

医者はお父さんに聴診器を当てて、酸素のチューブは回収された。

『優秀じゃん!酸素なくなって!』 私が言ったら

『高い金払ってんだから殺されちゃたまんねぇ』 と言って笑った。


そしてまたガーガー寝た。
検温で看護士が来て熱は7.3℃、血圧はやはり高め、酸素99


看 『お腹痛くないですか? 腰は?』
父 『痛い時もある。』


体位を右向きに変えてもらい看護士が出て行った。
『イタカッタ』 お父さんはそう言って水を飲んでまた眠った。


11時前にカズが来た。 お父さんは寝ていた。
ご飯もきたので顔を拭いて起こしたけれどお父さんは寝ていた。
カズがお昼を食べに行った間もずっと寝ていて、カズが帰って来て少し起きた。


交代で私もお昼を食べに行って、戻るとき、外の窓からカズが見えた。
カズも一緒にウトウトしていたみたいだった。
今日はお父さんは寝て曜日だった。
“寝て曜日” この言葉をつくったのはお父さんだっけ、お母さんだっけ。
カズも簡易ベッドで、お父さんと一緒に、グーグー寝た。


16時頃、お母さんが戻って来たので私は交代で家へ戻った。
カズは17時半頃病院を出たみたいで、うちに戻って夕食を食べていった。

お母さんは新しいアルバムを持って行ったみたいで、
ジャングルジムを見て 『行ったな』 とか、たまに反応していたそうだ。



19時半頃病院に戻る。
お父さんはご飯を少しだけ食べ、ハミガキをしようとしたら寝ちゃったみたい。

その後看護士が痰を取りに来て、ついでにハミガキをやってくれた。


私はお母さんが持ってきた写真を見ていた。
変顔の小さいカズとギターを持ったお父さんのツーショット。
お父さんとおじいちゃんのアメリカ旅行。
お父さんはおとなしかったけど、やさしい顔でそれを見ていた。


20時20分頃、お母さんは家に帰った。


お父さんはおとなしいけれど目が冴えている感じだった。
21時過ぎに看護士が来て痰をとり、熱が8.7℃あったので
おでこ、脇、足の付け根の三箇所に氷がきた。

ピーポーピーポー、外音がすると、 『きたな、救急車』
と、救急車の音に反応した。

体位を変えるのに、めずらしくちょっとギャルっぽい看護士がヘルプにきた。
お父さんのケロヨン靴下を見て、かわいー!と本気で欲しそうにしていた。
看護士にバカウケ!とお母さんから聞いていたけれど、生で反響を見るのは
初めてだった。そんなにかわいいか?私が履かずに封印していたケロヨン。

お父さんはかわいいかどうかなんてどうでもいいんだろうけど、
みんなが明るくなる話題は好きなのでけっこうこのケロヨンは活躍した。

『靴もいいしね。色も!』 もう一人の看護士がさらに盛り上げてくれた。

しばらくしてお父さんは眠って、22時半頃看護士が来て起きた。
イビキが苦しそうだったので痰を取ってもらう。

『つらいねー申し訳ないねー』 そう言いながら看護士が痰を取っていた。
ちょっとした私の質問に対し、
『寝ている時とかは痰がたまりやすいんです』 と言った。
この人は、言葉を選んで “寝たきり” という言葉を使わなかったのが分かった。
その心遣いが私には伝わってきた。

熱は8℃まで下がり、痰が絡まったイビキだったけれどよく寝ていた。

夜中に目を覚ましたら、ベッドと壁の間に人がしゃがんでて、
お父さんがおっこっちゃったのかと思ってビックリしたらお小水を取っている
看護士さんだった。


2時半にまた体位を左向きに変え、3時に看護士さんが痰を取りにきた。
私がベッドから起きたらお父さんはびっくりした顔をした。

私 『まーだよ。びっくりした?』

父 『よくおとうだって分かったじゃん』

久々に聞いた、このセリフ。なんかちょっと嬉しかった。


私 『だって泊まってるもん』

父 『おとうが?おまえが?』

私 『まーは今日、おとうはしばらく泊まってるね。』

父 『おかぁは?』

私 『おかぁは昨日泊まって明日も泊まるよ』

父 『脱出できねえ?』

私 『今は夜中だからねぇ。カズがいる時にしなきゃ。』 




父 『・・・生死に関わる時はつかうけどそれ以外は・・・おまえに子供ができたらそれを・・・
    できたんじゃねぇの?』


私 『子供?できてないよー。結婚してないじゃーん』


父 『名前考えてないの?』


私 『お父さん考えてよ。』


   ・  ・  ・


私 『呼びやすいのがいいね。』

父 『呼びやすいってのはムズカシイんだ。』

私 『まさことカズも迷った?』

父 『まよった、まよった。』



   ・  ・  ・ しばらく黙っていた。
   もう忘れて別の世界にいっちゃってるかとも思った。
 



父 『おまえ考えてないの?』

私 『う〜ん、何がいいかなぁ』
まだ考えてたんだ…









父 『せい とく りゅう』







・ ・ ・あんまりにも想像を超えていた。










私 『どんな字?』

父 『せいは・・・』

私 『生きる?』 その時、私にはそれしか浮かばなかった。

父 『それでいいや』 お父さんは違ったら違うと言うと思った。

私 『とくはあれ・・・道徳の徳?』

父 『そう。』

私 『りゅうは立つに・・・でしょ?』 “竜” とイメージして言った。

父 『その通り。』


私 『前から考えてたの?』

父 『今考えた。』

父 『苗字がなんとかとか、この字は使っちゃ駄目とか、そういうのは分かんないよ。』

 やっぱりお父さんらしい付け加えだった。


しばらく黙って何か考えている。

おもむろに私の手を両手で持って、
“この先っちょがあっちに落ちてる・・・” と、不思議なことを言った。

そしてまたしばらくして言った。

『その子は昔だったら殺されてた』


『大昔でしょ?』 意味は分からないけど私はなぜかそう言った。


『いや…』
 


『生徳竜の “生” は生きるだから』 私がそう言うと、


『そう、生きる』 お父さんは力強く言った。


そしてまた黙っていた。


『じゃあ女の子は?』 と聞いたら、
『それが考えてないんだよなー』 と言った。



トイレに行って泣きながらケータイに 『生徳竜』 と打って保護した。
今、お父さんはどんな世界で何をみたんだろう。


トイレから戻ると、『カーニバルが始まる』 とお父さんは言った。
そっちに行った方がいいかも、と言うのでどっちだか分からないけど
私もベッドに戻って眠った。

11月19日(月)     幻想の世界

7時半に目が覚めた。お父さんはあれからけっこう起きていたみたいだった。

一晩で抜けたとは思えない髪の毛が、お父さんのまわりに落ちていた。


朝の検温の時、 『海の上…』 お父さんがボソッと言った。

看護士さんは 『え?』 と、急なことに驚いていた。

こうやってお父さんがとうとつに不思議なことを言うのは珍しくなかったけど、
看護士さんは毎日いるのにそれも知らないんだなー、と思った。


『まー疲れた?』 お父さんは聞いた。

『まーは全然疲れてないよー』 と答えた


『おとうはクタクタ。』 



そして、おまえは疲れても未来があるけどおとうは未来がクタクタ・・・

みたいなことを言った。 よくは聞こえなかったけれど。


父 『パンかなんかあったっけ?』 まるで家にいる時みたいに言った。

私 『お粥じゃダメ?もうすぐご飯だよ。 パンはお許しがでてないかもなー』

父 『お粥でもいいよ』

『ここんちのルールがよく分かんねんだよ。パンはお許しがでてんのかと思ったよ。』

と言って弱々しく笑った。



汁4さじ、お粥2さじ、お茶を少し飲んだ。


『腰が低い布団ない?』 と言う。
食べるのにベッドの角度をつけていたので頭を下げたらイテテッ。
『あっち向いてもダメかな?』 と言うので、体位を変えるために頭を下げたら
とても痛そうな顔をした。

歯を食いしばって顔を真っ赤にして、
手にグッと力を入れて震えている。
とても痛そうな顔だった。 声もでないくらいに。


8時半にお母さんが来た。
主治医、ヘボ回診。

医 『調子はどうですか?』
父 『とてもいいです』
医 『食欲ありますか』
父 『あります』

便が火曜日からずっと出てないので、下剤を飲むことになった。
『前飲んだ時は○○gでしたっけ?』  私に聞くなヘボ。

お父さん本人が食欲あると言うので、いつからかカロリーUPした栄養点滴は
カロリーダウンして食べる方向にしましょう、ということになった。


ささやかでもいい方向の話は少しホッとする。


『がんばってね』 主治医はそう言って出て行った。



お母さんがハミガキをして、私はカサカサの足にクリームを塗って 9時過ぎ、
『洗濯入れたりしてくるね。』 と言って私が帰ろうとしたら、
『飛行機で送ってやんだけどなぁ』 とお父さんが言った。

車椅子に乗れなくなってから、お父さんはよく飛行機の話をした。

私が家にいる間、お父さんは下剤を飲んで、便が少し出始めた。
肺のレントゲンを撮って、お母さんと一緒に昼寝をしていたみたい。

16時過ぎに戻ると、ぼんやり起きていた。
夕方の回診に若医者、エンジニ + 看護士


医 『こんにちは』
父 『こんな格好で失礼します』

  冗談にしては真剣に見えた。


交代でお母さんが家に戻り、二人になってしばらく、



『工夫して子供大事にしてやんなきゃな。』

お父さんはそう言った。

『写真いっぱい撮ってやんな』

  そう言った。


『いい写真撮らなきゃね。』 私がそう言うと、

『いい写真撮ろうと思わなくていいんだ。』
 
 お父さんはそう言った。


私が椅子に座り直した時、

『おなか痛い?』  お父さんが聞いた。

『痛くないよ?』

そう答えると、
『お腹に手当てたから。 ま、そりゃそうだよな。』

 お父さんはそう言って微かに笑った。


たぶんお父さんには、私は妊婦にみえていた。

そして、お父さんは簡易ベッドを指さした。

なぜだか分からないけど、

そこに子供が寝ているかのようだった。

本当になぜか分からないけど、

お父さんには子供が見えていて、

ベッドの方を指さしたお父さんを見て、

なぜか “子供が寝てるんだな” と私は思った。


とても不思議な空間だった。


『カーペンターズの音の幅がせまい』
そんなことを言った気がしたのでボリュームを上げた。

遠い世界からお父さんが我に返るとき、一番最初に入ってくるのは
 “音” なのかもしれない。

カズの言う通り、ラジオをやめてカーペンターズにして正解だった。


夕食前、久々にデカオバちゃんがふきんを持って現れ、
『また車椅子乗ろうね!!』 と言って相変わらずパワフルに去って行った。


夕食の時、

『このへんにテーブルが欲しいんだよな』 自分の前を指してお父さんが言った。

大きいテーブルを動かそうとしたら、

『それはデカすぎ』 と言われたので引き出し付きの台を持って来た。

『いーねー』

その台に夕食の乗ったお盆を置いた。

お父さんの目線からご飯がよく見えるようになり、
たしかにこの方が食べた気がするよな、と思った。

汁1/3弱、お粥は食べずにお茶を一口。


スプーンで汁やお粥をお父さんの口に運んでいると、以前

『こんなんじゃ食ってるうちにはいらねぇ』

と四角い目をしたお父さんのことをよく思い出した。

いつかまたそう言い出すんじゃないかと思っていつもちょっとどきどきした。
でも、もうお父さんはそう言わなかった。


食べたいというより、私たちのために食べてくれているのかと思ったりもした。

『お茶もっといる?』 そう聞いたら

『寝ちゃうぞ』 と言って、すぐお父さんは眠った。

お粥も食べなかったし眠かったのか…と思ったらすぐに起きて、

『着替え取って』 と言った。

『明日のお風呂の後でいいんだよ』 と私が言ったら、

『そうなの?』 と言ってなんかおかしそうに笑っていた。

ほんのわずかでも、お父さんは寝て起きると、また別世界にいたりする。
この時、ここはどこだったんだろう。
へんなの〜 という感じでお父さんは笑っていた。

父 『ふーん、そういう風になってんだ。じゃあ寝ていいの?』
私 『いいよ』
父 『じゃ 寝る』

それから
『50mくらいは先だよなー』 と言った。 そして

『がんばらなきゃな。』 と言った。

『そうだよ!がんばらなきゃ!』 

なんの話しかはさっぱり分からないけど、前向きな言葉が嬉しくて必死に賛同した。

『な!』 なんだか分からないけどやる気まんまんだ。

『お父さん元気になったからお医者さんもびっくりしてるよー!』

そう言ったらお父さんは黙ってしまった。


まあ、私の願望とお父さんの世界にズレがあるのは分かってたけど。。。


お母さんが戻ってきてサンスター(はみがき)タイム。
たくさん並んだポットを見て、これはもう持って帰ろ、とお母さんが言っていたら、

『持って帰ろ、だって』 と、おかしそうにお父さんが言った。
まるで、レストランでタッパに詰めて帰ろうとでも言ったときみたいに。

お母さんがきて、お父さんの顔はとても安心した顔になった。

足にクリームを塗って、靴下を取り替えた。

カズが来ると、『おっ!』 とお父さんは反応した。
一番病室にいる時間が少ないカズの登場は貴重な時間。
お父さんも、カズが現れる時が一番リアクションをとることが多かった。

カズは起業する話しをした。
昨日も話していたけれど、昨日は寝て曜日だったので、
寝ているお父さんの横で私と二人で話していた。

お父さんは昨日より話が頭に入ってる感じで、
お金の貯め方をカズにアドバイスしていた。


私とカズが帰ると、お母さんからメールが来た。

20:30 カズが行ったらいきなりコーヒーだって。
断れない顔なので買いに行って戻ったら寝てた。ホッ!

21:24
検温で起こされてから寝息を立てながら目を開いてます。
静かに コーヒーは忘れて

22:22
看護士に風呂なるべく入いれるようにーなんて、この前
風呂の後呼吸が荒くなってあの騒ぎになったんだから、
熱あっても断りたいよ


個室に移ってからは、お母さんとは入れ替わりの交代生活なので、
お父さんの様子や家のことなど、ほとんどメールでやり取りしていた。


困ることと言えばお母さんのメールには句読点がなく、意味不明な時がある事と、
私は見やすいようにしてるのに、改行するとその先を読んでくれない事だ。

まぁ、それでも60歳で一応メールが出来るだけでもだいぶ助かった。

11月20日(火)     あれから二ヶ月

9時過ぎに病院に着いた。

朝ご飯は汁all、お粥2/3 ハミガキも終わり、痰を取って熟睡中だった。

熱8.2℃ 昨日はお父さんもお風呂に入ると言ってたけどとてもじゃない。やめやめ。

相変わらず点滴交換で看護士がドタバタしてお父さんは目を開けたけれどまたすぐに眠った。

点滴がカロリーダウンしている。

今朝の回診はボスとエンジニで採血もしたようだ。


交代でお母さんは家に戻る。


なぜか知らないけどまたエラカンが様子をみにきた。


10時半過ぎ、検温8.4℃ 物音でたまに目を開けるけれどやっぱりすぐに眠る。

お風呂がなしなので体を拭き、痰を取り、体位を右に。

首からの点滴の消毒をして、パウチも交換した。便も出ていた。

ちょっとくらい熱があってもお風呂はOKというけれど、こんなに熱があるのに
無理して体を拭いた方がいいのだろうか。

医療のことは分からないのでお任せするしかないけれど、分からないことだらけだ。

首の点滴の消毒に来たのは一番若い見習いのような医者だった。
後からお父さんとそんな話しをしていたら、

『きたなー、エンジニアみたいなやつだろ』

お父さんは言った。

お父さんの言う通り、“医者” というよりは “エンジニア” のような人だった。

そして、彼は 『エンジニ君』 と命名された。


寝込みを起こされてしばらく呆然と天井を見ていたけれど、
お父さんは私の手をしっかり握って眠った。

今度はお昼ごはんを持ってデカオバが襲撃にきた。
『寝てる場合じゃないわよっ!』 
『はぁ』 一応返事をしていた。

若い看護士に言われたらカチーンとくる言葉でも、あまりのパワフルさに
まさに、 『はぁ』 という感じで、
オバサンのパワーとは不思議なものだ。

痰がからんでいたので食べる前に取ってもらおうとナースコールした。
めずらしい人が来た。通称 “かっぽうぎ” 命名:母 病室ではカーペンターズを流していた。
『こういう音楽が好きなんですね〜』  と
お父さんはこの看護士に自慢の写真CDを見せていたみたいで、
お父さんが家でPCで音楽を流しながら写真のスライドショーを見ることを知っていた。

“かっぽぎ” と母に命名されたこの人は、
“今どきめずらしくかっぽぎの似合いそうな人” という、そのままのあだ名だった。

よっぽど田舎っぽい人かと思えば、素朴で可愛らしい2児の母で、
以前、眠れないというお父さんに、
『わたしも毎日3時に起きてるから、夜中に起きたら思い出してね』 と声をかけてくれた人だ。


『昔、車の中で娘さんと息子さんがよくおもちゃをも取り合いをしていたって言ってましたよ。』
とかっぽうぎに言われた。

『そういうことっていつまでも覚えてるんだなーと思って』 と、いかにも2児の母らしい。

車でかっこいい音楽流したりするようなおしゃれな一家じゃ決してない。
でも車でよく流れていたカーペンターズのカセットテープ。
おもちゃの取り合いは覚えてないけれど、
カズとわたしの共通の記憶。


かっぽうぎは、痰を取るのも上手だった。



『ごはん食べない?』 と聞いたら
『食べるよ』 当たり前のように言った。

汁をスプーンで口元へ運ぶけれど口が開いてない。

『いらない?』 と聞くと、
  『いるよ』 と言う。
けっきょく2さじ目を飲んだらお父さんは寝てしまった。


眠かったんだ。今日も寝て曜日だ。
少し穏やかな日だ。 今のところ。


13時、点滴と血圧を下げるテープの交換に看護士がきた。
一瞬起きたけれど、またすぐに眠った。



余命宣告から、昨日で二ヶ月が経った。


ふと二ヶ月前の日記を見てみる。

車の話、床ダン、怒る元気、冗談、車椅子…自分でこいでいる。

たった二ヶ月で、なんて沢山のものが奪われたんだろう。

これ以上は読み返せなかった。



しばらく一緒に昼寝をした。
14時半前、点滴交換に看護士がきたけれど、またすぐに眠った。


15時ネツ7.3℃、酸素OK、痰を取り、体位左向きへ。
おしりのチェックに看護士が3人来た。

ストーマに詳しい看護士が一人いると聞いていたけれど、どうたら一人はその人みたいだ。

初めて見た怖い野口さん(ちびまるこ)のようなそのベテラン看護士は
お父さんは動かされると痛みがあると知って夕方の痛み止めの点滴を
早めにやってからにしましょう、と言った。

前に野口さんがお父さんと接した時は、横を向く時に痛みがない頃だった。
いまさらそんなこと言う人は初めてだった。

担当看護士は、いつもやってるのに…みたいな顔だった。
どうしたって痛いのに…みたいな感じだった。


確かに、点滴後でも痛いに変わりないと私も思った。

野口さんの気遣いが、本来はみんながそうあるべきのような、
いかにもベテランの風を吹かせてるだけのような、
なんか複雑な気分だった。


次は痰の吸入器を交換しに久々にitoくんが来た。

病棟唯一の男性看護士。

車椅子に乗り始めた頃、お父さんは介助に彼をご指名だった。

女性では力の面でも不安だし、女の首に食らいつくというのは気分のいいものじゃない。

足は諦めるように医者に言われた後、“どうやったら歩けるようになる?”
と真剣に聞いて真面目なitoくんを困らせた。

itoくんが去ったあと 、『itoくん久々だね』 と言ったら
『itoくん…』 と微笑んで言った。 そしてだんだん目を閉じて眠った。


…と思ったらノックの音。
『はい』 けっこう大きい声でお父さんが反応した。

たまに、こうやって反射的にお父さんがノックに反応することがあった。
元気がない日でも、医者や看護士に対しては必要最小限ではあるが
毅然とした対応をした。


『おしりかえてもいい?』 担当看護士が一応確認する。
『やってもらうしかないでしょ』 
お父さんらしい答え。 その通り。
そしてまた、ゆっくり眠りに入った。


16時頃お母さんが来て物音で起きた。
私がトイレから戻るとおしり交換中で、患部はきれいになっていた。


『泊まる準備してくるね』 と私が言ったら、
お父さんは穏やかな顔でうなずいた。 ちょっと目が覚めた顔だった。
夕方回診にヘボとエンジニ。

医 『どうですか?』
父 『はい』 一応答えた。


16時過ぎに家に帰るとおばぁちゃんから電話が来た。
私は元気。私の心配はいらないからお母さんはお父さんについててやって
若いもんは働けと。私が留守番してやるから家に帰りたいと。
なんとか適当にごまかしたけど、それにしても元気な声だ。


18:34 母よりメール
おしりからずっと起きてる
デカオバが来てお風呂の話してたらお風呂あるの?と声絞って
唯一の気分転換なのかも 入れてあげたいけどねー

19時過ぎに戻る。やさしい顔で目開いていた。
夕食は1/3でサンスターOK
水を少し飲んだ。
お母さんとカズは現場が変わったから遅いねーとカズの話しをしていた。
お父さんは黙ってそれを聞いている感じだった。

カズが来たので 『おっ!職長!』 わざそう言ってカズを出迎えた。

22階建て150世帯の3つの内2つの長になるかもというカズ。

またしてもお父さんが乗ってこないはずがない話し。

『2年で起業するからお父さんネーミング考えてね』

カズが言った。
日曜日に話そうと思ったら寝て曜日だったのでできなかった話しだった。

何がいいかねー 植木○○とかUK○○はやだなぁ〜 とみんなで話すのを、
お父さんはやさしい顔で聞いていた。

『眠れないね』 とお父さんに言ってみんなで笑った。

『そーゆーわけだから、おとう』 カズが言ったら
カーッって寝たふり。笑


『じゃあまたあした』
そう言ってデニーズに行こうとしたカズにそのままお父さんは返していた。


『じゃあ名前頑張って!』 出る前にお母さんが言ったら
カーッってまた寝たふり。笑


ほどなくして、お父さんは眠った。



21時頃、ニコプリ看護士が来て点滴が終わった。
夕方、熱が8℃ちょっとあったみたいなので氷を取りに行って、
戻ったらお父さんは寝ていた。

再びニコプリが氷枕を持って来て体位を右に変えた。
『動くと痛いんだけ?今日は泊まるの?何度も来るけどごめんね』
今日は妙にご機嫌。さすがニコプリ。
お父さんはそこまで痛がらず、ニコプリにも一応返事をしていた。


お父さんは左手でわたしの左手をぐっと握って、
しばらくさみしい顔をして目を開けていた。
右手は震えていた。

15分くらいして、お父さんは眠った。
震えは止まるんだ。

なかなか手を離せない。


眠りが浅いようで、ちょくちょく起きている。
2時間おきくらいに体位と痰のために看護士が来る。

3時半頃横に座ってみる。
全然寝ないので離れようとすると、グッと手を握る力が強くなる気がして
なかなか離れられない。

気のせいなのか、そう思いたいだけなのか。

ずっとこうしていたいような体のために早く寝て欲しいような…

私がベッドに戻ったあとも、お父さんは起きていたようだった。

ukuleleが届いた、とカズからメールが来た。
明日からさっそく練習だ!

11月21日(水)     いろんな日があると思おう

朝7時、お父さんの横でウトウトしていた。
7時半にはお父さんは起きていた。
『ごはん食べる?』 『寝れた?』 と聞いてもイマイチ反応がない。

朝食。一応食べるというので汁4さじ、お粥2さじ。でも半寝。
お茶を一口飲んですぐに眠った。
…眠かったんだ。 

お母さんが来た。

出入りしていたらお父さんが起きた。

9時前、私は家に帰った。もうすぐ主治医と調合師が回診に来そうだった。


16:24
昼ご飯きたらぐーぐーでパス
今体拭き終了 6.5℃だって
アイス少し食べた。
少しくらい熱あっても風呂入れるよだって
乱暴な。

19:05
今日うつ静か へんなことも言わない
いろんな日があると思おう。
日中、お母さんが株下落の話をした時だけちょっと反応したけど。


16時半過ぎ、ウクレレを持って行って見せたら少し表情が緩んだ気がしたけれど
あまり反応しなかった。


お母さんが病室を出る時も寝ているような目がうつろな感じだった。

今日は現場がみなとみらいだった、とカズが17時半に来た。

カズが現場の話をするけれどほとんど反応しないか寝ているか。


夕食は汁4、お茶一口ですぐ寝た。
19時お母さんが戻ってきてサンスター。
寝てるので19時半ころカズと病室を出た。

11月22日(木)     お父さんのみる世界

8時過ぎ、病院に着いた時はウトウトしていた。

朝食は汁allお粥1/3、サンスターして寝た。

熱は7時の時点で8.8℃ 点滴が変わっていた。
気になったので看護士に聞いたら容器だけで中身は同じ、とのことだった。


11時、熱7.7℃ 痰をとる。


お昼は汁1/2とお茶一口

『もうちょうっとしたらハミガキね。サンスターババァがいなくて困っちゃうな〜』
と言ったら、

『下からあがってくるよ。待ってるしかないだろ』 だって。

『寒い』 と言うので 『脇の氷とる?』 と聞いた。

『そういうんじゃなくて、 全体として』

『人は走ったら熱くなるだろ』

走れないから寒い、 そういうことなんだろうか。



軽くハミガキをして、
『おにぎり買ってくるね』 と言ったら
『間に合うようにしろよ』 だって。
意味は分からないけど昨日よりはよくしゃべる。


ご飯とハミガキで頭がだいぶ上がっていた。
看護士がくると、容赦なく一気に上げ下げをするので、少しずつやろうと思い聞いた。



私 『頭下げる?下げとかないとピンクモンスターが来て一気に下げたら痛いよ』

父 『なにが来んの?』

私 『ピンクモンスター』

父 『ピンクモンスターか』 お父さんはちょっと笑った。


看護士が来た時、今外に新しく建てているビルの話になった。
お父さんの頭の上の窓。 デニーズとビルと道路しか見えないけど、
お父さんに外を見せてあげたいと何度も思った。


ビルには自衛官…みたいなことが書いてあった。

『自衛官…スペース的にそんなもんしかとれなかったんだろ』
一見意味不明だけれど、きっととても意味と理由があるんだろう。
お父さんはなんでもよく知っているから。


いつの間にか、お父さんのいる個室の横のTVスペースにも、
クリスマスツリーが飾られていた。

隣にあるツリーさえ、見せてあげられない。
いっそベッドごと、ツリーのことろまで行ってしまおうか。


14時半前、お父さんが寝たなーと思ったらおしも隊が来た。
おしもを洗っておしりのテープも張りかえた。
体位左向きへ。熱7.7℃ 血圧平常 酸素OK


16時頃、左向きでテーブルをぼんやり見ていたお父さんがふいに言った。
『水の横なに?』
水のペットボトルの横にいつもお昼に出るお茶の湯のみがあった。
『これ?空』 お父さんに中が見えるように傾けた。
“なーんだ” という顔でお父さんが笑った。
『きいろいのがない』
『きいろい何?』
『なんでもいんだよ儀式だから』

廊下の方から物音がした。

父 『キツネいた?』
私 『ピンクモンスターだよ』
父 『おまじないしなきゃ』

お母さんが戻ってきた。
『おっ』 とお父さん。

私がポットのお茶を飲んでいたら、お父さんが見てる気がしたので
『いる?』 と聞いたら “いらね” とういう顔で返事をした。

『アイス』 お父さんが言ってお母さんが買いに行った。
“かんたんに通った” (要望が?) 
『うまい』と言って父さんはアイスを食べた


私は家に戻った。

私がいない間に、お母さんがエラカンに勧められた口を掃除する
ペロリーナみたいな名前のやつを試したみたいだけど、
見た目通り、痛くてダメだったそうだ。


17:20
アイス半分食べたよ 少し元気だね 熱7.3℃

夕食は1/3食べてすぐ 『アイス!』 味を占めたみたい。笑
今度はカズが買いに行ったけど戻ったらもう寝てていらない、と。

19時過ぎ、病院へ戻った。今度はコーヒー。
少し飲んで慣れない私がハミガキしてたらなかなか吐き出してくれないので
油断してたら急にペッて遠くに飛ばした

わざとやったなー!笑


今日はお母さんがデニーズ。カズは社名を考えていた。
イセシンか…イセツウ? お父さんのお店の名前。
今日はイマイチ反応がない。


お母さんとカズが帰ってすぐ、お父さんは
『イテテテッ 足』 と言った。
『痛い?足?』 慌てて聞いた。
『帰りたくなっただけ』 お父さんは言った。


帰り際に洗濯物も話しとかをしていたからかもしれない。


二人っきりになってお父さんは起きていた。


うしろは空いてる?前は? と聞いて
さーどーすっかなー と、何か考えていた。
ドアの方を指差すので 『ん?』 と言ったら置き場がさだまんねぇ。と言う。
今日は脱出じゃなくてなにかレイアウトを考えているのか。。

『こうやってずっと座ってるじゃん、腰が弱くなる…』 と言った。

何か打開策を考えていたのだろうか。


父 『さいとうさん』
私 『だれ?』 検討もつかない名前だ。
父 『?』 なんの話?みたいな顔をされてしまった;


テーブルの上に並んだコップやポットをじーっと見て
『コップとって』 と言う。
『空だよ』 と言って空のほうじ茶を渡したら
『ほんとに空だ』 と、言った。
水が飲みたかったみたいなのであげた。


体が左向きなので頭も左を向いていて、首が曲がって痛そうだった。
L時に枕置く?と聞いたら “ぼくはいいよ” と言った。


右目に涙が溜まる。時々それを拭くような仕草で苦渋の顔をする。
寝そうで目を閉じている時とは違う、思い悩む感じで。


そして時々、自分の髪をつかんだ。
前はよく、そのままひぱって沢山抜けた髪を見ていたけど、それはしなかった。


そして時々、ふーーっ と、深いため息をついた。


廊下からの音に、
『あんちゃんのバイク、時々ぼくも乗った』 と言った。

私が子供の頃うちにあった青い原付の話しだと分かった。


『ピンクモンスターが氷ガシャガシャしてるね』 と言ったら
『氷?きったねぇ』 と言った。



22時頃、私もベッドに横になった。
23時半過ぎ、看護士が来て右向きになった。
寝れますか?という問いに “寝れる” と答えていた。

それからお父さんは手を上に挙げたりしてるので横に座ってみた。

父 『新しいのあった?』

私 『なんの?』

父 『おしめ』


“生徳竜” の時と同じ顔をしていた。


『うん』
 
そう答えたらお父さんはホッとした顔をした。



そして両手で私の腕を持って言った。

『これが一番成長したやつ?』


そういうことにした。

そしてお父さんはその私の腕を慎重に狙いを定めてポーンと足元に投げた。

まるでバスケのフリースローみたいに。

そしてマメがなんとか…と言ったりした。


ナースステーションから物音がすると、
『イエローキャブ』 と言った。
 
やっぱり乗り物なんだなーと思う。

歩けなくなったお父さんは、ボディサーフィンで水に浮こうとしたり、
飛行機に乗ったり、ジェット機に乗ったり、宇宙旅行に行ったりしていた。

なんとしてでも、動こうとしていた。




父 『学校かなんか行かなくていいの?隊長を含めてぼくも食わして欲しいんだよ』

『分かった』 そう言ってみる。

そしたら私の手を食べようとした。

『お腹すいた?』 と聞いたら 『うん』 と言った。

『飛行機関係のやつは食わしてやって』 とお父さんは言った。

今、お父さんはどんな世界をみているのか。


ふと、お父さんの右手が指紋の筋が白くなるほどカサカサしているのを見て、
日中左手しかクリームを塗れなかったのを思い出して右手にニベアを塗った。

こんな夜中に…と自分でも思いながら塗ってたらお父さんが少し嫌がる仕草をした。

『やだ?』 と聞いたら

『ベッタベタ だもん』 と言った。

すぐなじむよ、と言ってちょっと強引に塗っちゃった。

今でもニベアを塗るたびにこの言葉を思いだす。
たしかにちょっと、ベタベタする。


0時半過ぎにパリパリという音で目が覚めたらお父さんがコルセットを
いじっている音だった。

私 『なんだこの音か〜』

父 『ガキどものだろ』

父 『飛行機、まーはなにきてた?』

私 『??? なんだろーおしゃれしてた?』

父 『しっらねー』


おしゃれしてたかどうかなんてお父さんには最もどうでもいいことだ。
そんなこと分かってたけど寝起きであまりにも唐突な質問なんだもん。笑
何が聞きたかったんだろう?


1時にトイレから戻ると、わざと小さい声でお父さんが聞いた
『まだ怒ってた?』

『え?』

『まだ怒ってた?ピンクが』 だって。笑

相変わらずピンクモンスターが怖いらしい。
それともお父さんなんかしでかしたの?笑


それから腕を上に伸ばしたり忙しい。
看護士が来て 『体位かえましょっか?』 と聞いたら
『それはなんで?』 とお父さんは言った。

お父さんは聞かれるのがキライだった。
医療のことはわかんねんだから、なんでもいいからいいようにやってくれよ、
というスタンスだ。

その後夜中交代した看護士が 『よろしくお願いします』 と
交代の挨拶をしたら 『よろしく』 と答えていた。

6時頃、ふと起きたらお父さんはベッドのリモコンをいじっていた。
そしてしまいには落っことしていた。

テーブルを見て 
『水を一杯もらおうかな』 と言う。

ベッドを上げようとしたら “あげる” を押してもベッドが動かない。
あれ?と思ったらなんと電源が抜けていた。

『あれ?なんで?』 と言いながら私がリモコンをいじってたら
『こんなとこまでそれあんの?』 とお父さんは言った。


今日はどこにいるのだろう。

11月23日(金)     すべてに意味がある

『つかれた、つかれた』 朝、お父さんは言った。

7時半に看護士が来た。熱6.7℃ 痰もからまなくなったような気がする。

『あそこを・・・して一回通れるようにして・・・二回通れる・・・三回通れる・・・』

レイアウトのつづきだろうか。

コロコロでベッドの髪の毛をとっていたら “何?” という顔をした。

『三階から米持ってきてよ』

う〜ん、困った。

とりあえずトイレに行って戻ったらお父さんは寝ていた。

昨日は夜けっこう起きてたみたいだしこりゃ夜昼逆転か。

朝ご飯も半寝で汁5さじ、お茶。

8時前にお母さんが来てもうつらうつらだ。
8時半に私は家に戻った。


9:55
回診きたけど寝てた
ストマ水っぽいけど出てるよ
今7.3℃ 浅い居眠り



13時前におばぁちゃんから電話がきた。

事情は大体分かってるから。
あたしが帰ってお母さんが気を遣うなら大変だから。

  …そうそう、よく分かってるじゃん。

じゃまならすぐに帰るからとにかくやってみればいんだよ。
あんたたちが見極めてそれでダメならすぐ帰るから。
わたしだってお見舞い行きたいんだよ。

 そうだねーなんて適当に相づち打ってたら

じゃあそうやってうまく言っといてよ。あたしゃよく考えてなかったから。

  ガチャッ



16:32
具合は?って聞かれて絶好調だって
話しかけるとのってくる
夜は寝ないぞー

16時半過ぎに戻るとめずらしくラジオがついていた。
お母さんは入れ替わりで家へ。

17:38
身体拭くとき足があまりに細くなっていて涙が出たけど
お父さんにはなるべく明るく話しかけるよ
暗いのきらいだからね


気づいていたけど見ないふりをしていた。
細くなったけれど筋肉が落ちたせいと思い込むようにしていた。
肉はまだまだついていると思うようにしていた。
いつかふっと動きだすと思いたかった。


物事には全て意味がある、と “Life” にも書いてあった。
お父さんがこうなった意味を、わたしはまだ見出せないけれど、
私は信じている。
『奇跡です。ガンが消えました』 と言われることを。
心から願っているし、信じている。
諦めた雰囲気にだけはしたくないから!

そんなことを返信したと思う。

“Life” にも、 『うつはいつか抜けるときが来る』 そう書いてあった。



18:12
その通りだね がんばろうね
お父さん頑張っているもん



熱7.3℃ 血圧正常、酸素OK

コーヒーを飲むというので買ってきて3口。
痰がからみだしたのでとってもらう。

『口開けてー』 看護士さんが言うとパッと一瞬だけ開けてすぐ閉じちゃって
お父さんはふざけていた。

『息苦しくないですか?』 看護士さんに聞かれ、
『苦しくないけど肺の方は苦しいね』 と答えた。

ほどなくして眠り、しばらくウトウトしていた。

夕食がきて起こして、汁5さじとお茶。 眠いのかな。
アイスなら!と思って聞いたけどいらないと。

カズが来て “おっ” とかろうじて言ったけど寝ている。
19時過ぎにお母さんも来てサンスタータイム。
またすぐねっちゃたので19時半にカズと病室を出た。


夜、家で爪を切りながら、確かに人に切られるのは怖いかもなー と、
強引に爪を切ろうとしたらとても怒っていたお父さんを思い出した。

11月24日(土)     もととらなきゃ

8時半過ぎ、ハミガキ中。 
病室に入ってもあまり反応なく、お父さんはすぐ眠った。
7時に採血をして熱は7.9℃

お母さんは交代で家へ戻った。
9時半過ぎ回診。調合師、エンジニ + 看護士
起きたけどあまり反応なし。

ごはんは食べてますと言ったらすごいですねと言われ、 
でもずっと寝てますと言ったら、起きてるだけでも体力を消耗するから
寝てる方がいいですと言われた。

まだ熱があるからハアハアすることもある、と。
お父さんはまたすぐ寝た。


10時半過ぎ、突然起きた。
痰をとってもらい、それから黙って起きていた。


11時半過ぎ、痰がからむので看護士さんを呼んだ。
『今日はあったかいですねー』 という問いかけに
『あったかいですね』 と答えていた。
『まだからみます?』 という問いに 『からむっちゃからむ』 と答えていた。


もうすぐご飯だよ、と言ったら “食べる” と言った。


めずらしく、かつてブリッコと言われたあの子がご飯を持ってきた。
『ごはん持ってきました。』 例によってあのしゃべり方。
『はい、ありがとう。』 子供に言うみたいにお父さんは言った。


食べ始めると痰がからむので
痰を取ってから食べる?食べてからにする?と話していたら
『どっちが先がいいかな』 と、自分では思考回路がまわらない感じで言った。
先に痰をとってもらったら疲れた感じだったのでもう食べないかと思い、
『やめとく?』 と聞いたら
『もととらなきゃ』 とわざと小声で言った。


お父さんが何か言ったのが “まずい” と聞こえたので
『まずい?』 と聞いたら
『まずいのは決まってる』 だって。

お父さんらしくておかしかったけど、
やっぱり私たちのために食べてくれてるのかな、と思った。


そして汁1/3弱、お粥3さじ、お茶と水を少し飲んだ。


『そっかーまずいのは決まってんだ、知らなかったよー。
もととるのも楽じゃないねー』  と言ったら

『デカイ声で言うな、たたくぞ。』 だって。

もっと食べそうだったけど、痰がからむのでやめておいた。

『だいぶもととったよ! あっまたデカイ声で言っちゃった。』 と言って笑った。


しばらくして、お父さんは眠った。


ゴミ回収オジサンが来てお父さんが起きたのでハミガキをした。
なかなか吐き出してくれないので
『ペッてして』 と言ったら お父さんは 『ペッ』 と言った。

言うと思った!笑


お父さんはもう怒ることも四角い目をすることもなく、
今すぐ帰るとダダをこねることも、そんな元気もなく、
ベッドの上で寝たまま、たまに冗談を言った。


もう怒ることをやめ、楽しいことを言ってみんなを笑わせた。
もう観念しているような、寂しい笑顔にも見えた。
それでも自分にできることをしているような気がした。
声を出すのも苦しいのに、そうやってみんなを和ませようとしていた。


自分に残された少ない身体の機能を使って。


お父さんらしく、生きていた。



お父さんが鼻をかもうとした時があった。
ティッシュを持ってゆっくりゆっくり顔に近づけたけど、鼻まで届かずに諦めてしまった。


しばらく眠っていたのでコンビニでおにぎりを買って来て、
病室に戻るとしばらくして起きた。

簡易ベッドに座ってウクレレを弾いてみた。
『チューリップに聞こえる?』 と聞いたら
『聞こえる』 と少し嬉しそうな顔をしてこっちをみていた気がする。


14時半 熱8℃で氷枕を交換。 血圧はまずまず。

流しに行くついでになんとなく前にいた病室を覗いてみた。
隣にいた“のっぽ”は退院していて、くろんぼと茂さんがいた。

個室が一つ空いていた。
お父さんが個室に移動してから、私は個室をチェックをしていた。
今いる部屋は緊急用のようで、TVはないけれど、どの個室よりも広々していて、
家族4人が集まってもくつろげた。
どこか空いたら、移動させられるのでは…と思い、空かないことを願っていた。


16時、お母さんと交代で家に帰った。


17:25
今玄米茶入れて飲みました。
湯のみの底を見て 『見ろヒゲがある』 だって。
お茶っ葉の粉なのによく気がついたよ たしかにそっくり

今起きてる 平熱で血圧正常 熱はあやしいな

家で私も玄米茶を入れてみたら、確かに底のお茶っ葉はヒゲに
そっくりだった。


19時過ぎ、病院へ戻るとカズも来てる。
ウクレレで Top of the world の音をひろってみる。
お父さんはおとなしいけれど穏やかな顔をしていた。


カズは起業する、と言ってお金の計算をしていた。
『なんで起業すんの?』
お父さんはぼんやりしていた。


入院前にカズがチラッとそんな話しをした時は慌てて
いろんな資料を集めて本人よりも興奮気味だったお父さん。


カズデニーズへ。

私が氷枕を交換した時にカバーの布の部分が
お父さんの頭に当たったみたいで、
『イテッ』 とお父さんが言った。

言い訳するわけじゃないけれど、当たったといっても触れたくらいだったと思う。

たぶん、お父さんはわざと大げさに言った気がする。

だって少し笑ってたもん、お父さん。

『この娘は乱暴だねーおかぁはやさしいだろー』 ってお母さんが顔を近づけたら
『オエーッ』 だって。笑


なんか、お父さんはこういう展開になることを知ってた気がする。


しばらくして、お父さんは眠った。

ふと起きると、何か企むような目で右の壁側のボードと天井を見ている。
おもむろにベッドのコンセントをつかんだ。

あー! おととい朝起きたら抜けていたベッドのコンセント。
てっきり慌てもんの看護士がひっかかって抜けちゃったのかと思ってたけど
さてはお父さん自分で抜いたなー

確かに、一番太くてつかみやすいかもしれない。

リモコンを見せて、『ベッドのコンセントだよ』 と言ったら
ふ〜ん、て顔して


『いもの・・・』 と言っって急にドアの方を指差した。

『いものツルって書いてあるの?』 と聞いたら

“ちがうよ” っていう顔で横目で見られた;


父 『いものツルとってきてよ』

私 『どこにあんの?』

父 『あっちの方にあんだろ』


でたーあっちの方。
う〜〜ん。。 って顔してたらそれ以上つっこまれなかった;


21時半頃、看護士が検温に来た。
熱7.9℃ 氷枕を頭と脇の二つ持ってきた。

看 『夕方熱下がりましたよね?』
父 『あっそうなの』
看 『明日も担当なのでよろしくお願いします。』
父 『よろしく』

身体の向きは変えない、とお父さん。
看 『明日身体拭きます?明日にならないと分かんないか』
父 『明日になんないと分かんない』


熱を測ってる時、お父さんは手をおでこに当てようとしていた。
『どうしたの?』 看護士が聞いた。
お父さん、よくやるのに知らないんだなーと思った。
ゆっくりなので、おでこまで手が届かないうちに疲れたのか諦めることも多かった。


それから私も眠った。
2度くらい体位を変えに看護士さんが来たと思う。
2時半頃、ちょっとからまる息だったので 『痰とる?』 と聞いたら
『とったんじゃない』 と言った。
どうだったのか分からないけど4時半頃、交代した看護士に痰をとってもらった。


7時に私が目を覚ましたらお父さんはもう起きていた。
それともあれから寝てないのか?
どうやら寝たり起きたりだったみたいだ。

11月25日(土)     忘れられないケーキ

朝の検温、7.6℃ 回診に調合師とエンジニ。
7時過ぎからお父さんは寝ていて8時過ぎにお母さんがきた。
ちょうど朝食で汁1/3、お粥少し。 食べるとむせる。
私は交代で家に帰った。

今日、千葉で地震が起きるかも、という情報を聞いたので
念のため気をつけてるようにお母さんとカズにメールを入れた。

8:59
嫌だけど気にしてたほうがいいね。
咳しながら食べたから疲れてそのまま寝てしまったよ

13:03
電車乗るところ 昼ご飯 歯磨き終わった 寝てる
もう一匹も寝てる 痰一回取った 枕今度左手側
熱まだ8度ある 寝てよう日かも



数日前、抽選で当たったお墓から電話が来て、
そろそろプレートを申し込むように言われた。
まったくこんな時に…だけどしかたないので
カズもいる今日、お母さんはお昼後、お墓へ向かった。



そして恒例のババコールが鳴る。
ダメならすぐ戻るから一回帰らせろ、と。
またしてもなんとかかわして切ったとたん、またかかってきた;

自分も年金が少しくらいあるはずだからお父さんに使え、と。
お金に頓着なく、自分のお金がどんだけあるかさっぱりしらないくせに。笑
『大きいことは言えねぇけど。  言ってみてぇもんだ アハハ』 
そう言ってばあちゃんは電話を切った。

ばあちゃん・・・涙がでるね。


病院に向かいながらカズにお父さんの様子を聞いてみる。


14:28
8.2℃ 起きてる!おとなしー!

病室に着く。たしかにおとなしい。一日こんな感じだったみたいだ。
ほうじ茶を少し飲んだ。

14:49
大船行きのバス乗った
お父さんと何度か来てあれこれ決めたのにやりきれないよ
後ろ向きはだめだね  ・  ・  ・  お父さんどう?



私はウクレレでこいのぼりにチャレンジしてて、途中、一言お父さんが
何か言ったけれど、よく聞き取れなかった。
こんな口数の少ない日は特に、どんなささいな一言も聞き取りたかったなぁ。


『おとう靴かして』 デニーズで車を入れ替えるのにカズが言った。
『そこにあったかなー』 みたいな返事をした。

カズが車を入れ替えている間にお父さんのおでこを冷やした。
『水』 と言うので冷蔵庫から水を出して吸い口であげたら
“おっ” て顔をしたので  『冷たい?』 と聞いたら
『おべたい』 だって。笑
『カズだっけ言ってたの?(子供の頃)』 と聞いたら
『カズじゃなかったかな』 とお父さんは言った。


声を出すのが精一杯でも、ユーモアを忘れない。


廊下側から聞こえる看護士たちのおしゃべりに、
『今のなに?』 と聞かれたので
『ピンクモンスターが騒いでんだよ』 と言った。


なんか寒そうに見えたので、
『脇の氷とろうか? いる? いらない?』 と聞いたら
『いる』 と言ったみたいだけどどっちか分からずに何度か聞き返した。
『何度も言わせるなよなー』 と私が言ったら
『発音が悪い。 ぼくが』  消えるような声でお父さんは言った。


カズが戻ってきて数日前にカズがビートルズだと思って買ったら
ビートマス(クリマスソングをビートルズ風にカバー)だった曲をかけた。

『このレコード何が入ってるの?』 お父さんは聞いた。
『今度ビートルズとジャクソン5を入れよう おとうジャクソン5知ってる?』
とカズが聞いたら 『知ってるよ』 とお父さんは答えた。


看護士が検温にきて7.7℃
看 『調子はどうですか?』
父 『快調、快調』


18時半、お母さんがケーキを買って戻ってきた。
“お父さんが一口たべれそうなケーキ買った” とメールがきたその
ケーキはりんごのブリュレ。 プリンみたいなケーキだった。

夕食前だけど、いいよね! そう言ってお母さんが出したそのケーキを、
お父さんはいっぱい食べた。

私たちが、一生忘れられないケーキの思い出。

後に、唯一の心の救いとなったケーキ。


隣のおばさんが買ってて最後の一個だったからそれにしてみた、
というこのケーキを、お父さんはいっぱい食べた。

もういい、と言わなかった。

いきなり食べ過ぎたらよくないかと思い、お母さんが途中でストップしたほど。


入院してからすかっり変わってしまったお父さんの口。

今までの大好物は全て食べれなくなってしまったお父さんの口。

汁とお粥の単位も “さじ” になってしまったお父さんの口。



わたし達のためのようにごはんを食べていたお父さん。
でもこのケーキは、とてもうまそうに食べた。
お父さんの好きな物を、おいしそうに食べた。


ケーキ食べたら味噌汁が飲みたくなるよ、というのはお母さんだけだった
みたいで、夕食はパス。

しっかりハミガキもして、18時半頃お父さんは眠そうにしていたので
私とカズは早めに帰ることにした。


『また明日』 そう言って病室を出たら、
『また明日』 と、お父さんは声をふり絞って言ってくれた。


これが私たちの聞く、最後の言葉になるなんて、
この時誰も予想していなかった。

日記には確かに書いてある。


“声をふり絞って言ってくれた” と。

11月26日(日)     痙攣

昨日18:49 
顔洗ってたら寝ましたのでおやすみ

お父さんはケーキを食べたて私たちが帰ったあと、すぐに眠ったようだった。

朝 7:46
熱6度 4時と7時に痰とり
4時はあせった はーはーで起きたら
上向いて首ふりこのように振って反応しないの
初めてみたあんな様子 痰とりでおさまった
寝たり起きたりしてるよ


8:30
ごはんパスだって言って今グースカです
呼吸弱いから痰つまるとパニック起こすのかも


8:40  病院に着いたらグースカ寝てる。

9:10  回診 主治医、ヘボ、エンジニ 今日またレントゲン撮る、とのこと。

9:30  チビオバ用ないのに来て、お父さんが寝てるので
     『痩せた?髪薄くなった? 当たり前か』 と私に話しかけてきて
     さんざん自分の愚痴を言って去って行った。

9:45  体位右向きに変えて痰とる。すぐ寝た。

10:00  熱8.8℃ 酸素91〜92 低め。 珍しく血圧も低め。 
      また痰をとる。 本人は寝ている。



熱が高いのと、酸素が低いので医者に相談する、とのこと。
酸素のマスクをすると口が渇いて痰が出にくくなったりもするから
本人が苦しくなければしなくていい場合もあるそうだ。

そうこうしてるうちに鼻チューブがきて、すぐに95まで上がった。

少しこれで様子をみることになった。本人はまったく起きずに寝ている。


11時前にレントゲンがきて起こされたけどあまりいたがりもせずにすぐ寝た。
私は病室の外からお父さんを見ていたけど、動くときに一度 『イテッ』と言った気がした。
ほんとに言ったのか、気のせいだったのか、願望だったのか、
幻だったのか、いまだに分からない。


それから一時間位一緒に昼寝をして、お昼もムリに起こさず、
顔だけ拭いてお父さんはずーっと爆睡していた。
私は売店のおにぎりを食べた。


13:40 目を開けたので痰を取ってもらった。口からだけでイマイチ取れなかった。
その後、リハビリの先生が様子を見てに来た。


話しは聞いていたけれど、私は初めて見る先生だった。
『植木さん、覚えてますか?また一緒にリハビリやりましょうね』
お父さんは目は開いているけれど、まったく反応がなかった。


私の日記には、“全く反応なし” に矢印を引いて “明日キオクなさそう” と書いてあった。

この時は、まさかこのままお父さんがもう二度としゃべらないなんて思いもしなかった。

お父さんの呼吸がおかしくなって個室に移った次の日、 “まったく覚えてねんだよなー”
と言ってお父さんはたくさんしゃべってくれた。

きっと、今日はそんなキオクのない一日なんだと思っていた。


もしかして採血の結果がよくって、さっき撮ったレントゲンにも奇跡みたいなことが
起きていて、またリハビリを再開するからめずらしい先生が来たのかも、とすら考えた。


その後、呼吸が苦しそうで眠れない様子なので痰を取ってもらった。
今度はけっこうとれた。

熱は8.8℃で下がらず。氷枕を交換して左向きになった。
身体が熱く、左手が空中でいつもより震えている。

『苦しくない?』 という看護士に、わずかに反応。
そう書いてあるけれど、もしかしたらこれも私の願望かもしれない。


15:00 解熱点滴が追加で来て、お父さんにつながるチューブがまた増えた。
     そしておでこを冷やしたらすーっと眠った。

15:20 酸素91〜92 目を開けてすぐに寝た。

15:40 熱7.7℃ 痰とる 酸素92〜93 またすぐに眠った。
     本人は苦しくないみたいなのでこのまま様子をみる、とのこと。
     身体の酸素が不足すると手足だ冷たくなったり唇が青くなったり
     めの下が白くなったりするらしい。

15:45 ボス、ヘボ、エンジニ
     食べてるか?水分は?痛がるか? 聞かれたけれど全てNO
 お父さんは寝ている。



16:30 お母さんが来て交代。


18:47 メール
ご飯パス 今ちょっと起きて水一口 寝ちゃったよ

19:00病院へ戻る。
熱8.2℃ ちょっと前に痰とってグースカ寝ている。

19:30 目を開けたので痰とる けっこうとった。
     おでこを冷やすと、すぐ眠った。

20:00 
お母さん突然目を開けたのでしばらく様子を見てたら
突然左右に首を振って苦しそうにハァハァしている。
慌ててナースコールをしたらしばらくしておさまった。
血圧も酸素も正常で、しばらくして眠った。
水はNOという。と書いてあるけれどこれも妄想か。。

21:00
痰とって氷枕変えて左向きに。すぐ寝た。
手が熱く、熱高そう。

21:40
また突然目を開けてしばらく、急に顔を左右に振ってハァハァ苦しそう。
すぐにナースコール。
右目が斜め上を見てひきつっている。
左手を上下にバタバタさせて、口を閉じているのに 『ウ゛ーー、ウ゛ーー』 と呻く。



私はお父さんの、  いや…人間の、
こんなにも苦しそうな姿を生まれて初めて見た。





痰を取っている時も呻き、苦しんでいた。

痰を取って少し落ち着いたけれど、両目で上を睨んでイーッという顔で歯を食いしばる
ようにしてフーン!!と踏ん張っていた。


頑張ってるんだよね、お父さん。



血圧は正常、酸素も94 熱は脇が開いてた気もするけど8℃
もう一度痰をとってもらい、その時にはお父さんは眠っていた。



今日は油断ならない。


22:00 すでに痰がからまり気味だ。

あぁ、せめて、痰を取るだけでも私がやってあげられたらいいのに。

なんで、私は看護士じゃないんだろう。

なんで、看護士にならなかったんだろう。

もう何回も見ているから、誰よりもうまく、お父さんが苦しくないように
やってあげられる気がするのに。

おでこのタオルを代えることしかできないよ。



22:40 また突然目を開けて苦しみ、痰をとった。


今度は地震がきた。 これも気のせいかもしれない。


23:20 痙攣
看護士が変わっていて、初めてみる様子に少し慌てていた。
看護士は痰もそこそこに、血圧計を取りに行った。

まだ苦しそうなのに! 心の中で叫んだ。
私は何もできず、ただただオロオロするしかできなかった。


別の看護士が来て痰をとる。
血圧計と心電図を持ってさっきの看護士とヘボがきた。


看護士たちの動きといったらそれはそれはすばやく 、
それぞれに自分のやるべき位置についた。
ヘボはなにもできず、ヘボっとしている。

そして看護士がやっている横から偉そうにチューブを取り上げて
ムリに痰を取った。 たくさん血がでていた。 痛そうだった。
やめて! 心の中で叫んだ。


素人だと思ってバカにすんな。

何回痰をとるのを見てると思ってんだ。

人によって上手い下手があって、誰が上手くて誰が下手か、もうよく知ってます。

あなたは力任せで、どの新米看護士よりもヘタクソです。

お父さんが、そう言っています。



『40分おきにこうなります』 私が言った。 ヘボでも他にすがる力がない。

『痰を出せないってことです。 そういう力がないってことです。』



やっぱりヘボはヘボだった。
それが事実でも、そんなことは聞いてません。

それでもどうしたらいいか、私は聞いています。

それでもなんとかして欲しいと、私は思います。


ヘボが痰を取った後のお父さんの様子がいつもと違った。
『あ゛ーー』 と初めて聞く苦しそうな声をあげた。


痰を取る時は性格が出ます。

思いやりのある人は上手です。

お父さんにかける言葉も違います。

言っちゃ悪いけど性格の悪そうな人は乱暴です。

家族が見てなかったらもっと物のように扱うんだろうな、とさえ思います。

ベテランや新米は関係ありません。



23:40
ようやく少し落ち着いた
二人っきりになった。
お父さんの頭の上で心電図が光る。
一瞬にして物々しい部屋になった。

嫌だった。
ドラマでしか見たことがなかった心電図。
音がしないようにしてあることだけが救いだった。

脈 130前後
血圧 98/127
酸素 95前後

心電図の呼吸の波長がたまに止まる。
『お父さん!お父さん!』 そのたびに呼びかける。
心電図から目が離せない。

しばらくしてヘボが一人で現れた。
もうこいつに話すことはないので黙っていたら黙って去って行った。

痙攣でナースコールを押して痰をとるたびに一命を取り留めた気分になる。


0:40
栄養点滴交換。痰とる。

直後、痙攣。

ナースコールで看護士3人が駆けつける。
熱9.5℃ 氷枕を両脇に挟んで頭を平らにした方が呼吸がしやすい、と
頭の氷枕を外した。

熱が高いので朝の白い解熱点滴が来た。

脈 125
血圧 98/127
酸素 97
呼吸数? 17

心電図は安定している。

今日のレントゲンで、肺の影が広がっている。
詳しくは明日先生から、と。
痙攣は熱からか、原因不明。

1時前、ようやく少し落ち着いて、トイレに行ったら
さっきの看護士がお父さんの様子を誰かに電話で連絡していた。


1:30 
痰とる。 熱8.6℃ 一度下がった。

2:40
熱8.7℃ 血圧84/106 熱が高いので座薬入れるか相談する、とのこと。

3:00過ぎ
突然痙攣 脈、呼吸数が一気に上がる。 痰とっておさまる。

3:30
熱8.8℃ 痰あまりとれない。 血圧90/120 解熱の座薬入れる

4:30
熱8.3℃ 血圧84/107

11月27日(月)     続く

6:15 ネツ7.7℃ 圧103/127 痰とる。 しばらく目を開けて手を握る

7:00 眠る

7:30 ヘボ 『どうですか?目開いてますね、今は、ハイ。』
    自己解決して去る

8:00 お母さん来て交代。




私の日記は痙攣の度合いと数字だけになった。

別にノートをつくり、時間ごとのさんとお父さんの様子をお母さんと伝え合った。



8:48 メール
触っても熱下がった感じでよく寝てる

11:25 ヒゲ剃り中 痙攣1分 右側痙攣

12:25 痙攣 すぐおさまる

14:34 メール 
三度軽い痙攣あり 主治医きた
言葉がでないみたいにかわいそうだけど治療が行き詰った状態だって

15:02 メール
今8℃ 今までそれ以下
頭と右手だけ軽い痙攣反応ない
脳に麻痺がきてるかもだって
今目開いてる
ストマ交換 シーツ交換した 落ち着いてるよ

15:30 
私が着いてすぐ痙攣 ほどなくおさまる


ヘボ来てすぐ去る
主治医きておしり診て去る

体位変える時痛そうな表情する。
意識ある。ちゃんと分かっている。(日記より)


16:00 痙攣10秒

16:10 眠る

16:25 痙攣10秒

17:05 痙攣 脈急上、異常を知らせる音が響く。
     10秒おさまる 
     痰取る 熱8℃ 圧94/130

17:35 『あったかいね』 と言いながら顔拭いた。
     『あーー』 返事してるんがだ、きっと。
     そう思った矢先、痙攣 10秒。
     脈90まで下がる。おさまって眠る。

18:05 激しく痙攣
     呻き声。振れる頭。
     痰とっておさまる。
     一時的に脈が150を超えた


18:30 主治医
     今日お母さんに年越せないかもと言ったけど、もっと短いかもしれない。


18:35 痙攣 

19:05 痙攣

19:30 痙攣



カズとお母さんがきた。

19:40 痙攣 
その様子を見たお母さんが慌てる姿を見て、お母さんが見た時よりも
苦しそうで、激しい状態なんだな、と思った。


20:00前、 ノートを見せて今日の状況をお母さんに話してカズと家に帰る。

私は、あまりにもたて続けに見たお父さんの苦しそうな姿と、
医者からの宣告で、もうフラフラの状態だった。


それでも夕食はお母さんがだいたい下準備してくれていたので
私一人で作るつもりだったけど、
カズはじっとしていられない感じで手伝ってくれた。

いつもは一番のんきにしている、というか明るく努めているカズは、
私やお母さんがもう立っているものやっとな日、家に帰ると真っ先に台所に立つ。

カズが始めて病院へ行った日、お母さんが帰りの車で泣いていた
あの日もそうだった。

11月28日(月)     から29日へ

7:08メール
2時までは一時間もたずに中痙攣 痰とり
5時まで寝てしまったが何回か看護士来て痙攣してた
5時以降ぐっすり寝ている
朝8時熱8度ちょい
痙攣疲れで今寝てる
カズ遅れないで行ったか?


8:00 目を開けたまま寝ているよう  しばらくして閉じる
    酸素91〜92 低め


お父さんは細いコードを握っていた。

いつもベッドの柵を握って寝ていたお父さんが今握っているのは
人指し指に付けられた酸素量を測る装置の細い、細い、コードだった。


8:40 酸素マスク。 痰とる
    痰が硬いので売店で売ってるジェルを勧められる
    手が冷たい。酸素の数字が上がらない。


9:15 主治医
    昨日より呼吸が荒く、厳しい状態

    『きのう話したようなことが早くくるかも』


9:30 売店でジェルを買って戻ってすぐ 痙攣
    歯を食いしばってチューブを掴む。唸って苦しむ。
    酸素80代。呼吸数50代。
    痰とってなんとかおさまる

    酸素95まで回復してホッとしているとだんだんと下がる。


10:00 酸素89〜90まで下がり痙攣 痰とって95まで回復
     眠り、またすぐに下がっていった。

10:30 87まで下がりナースコール
     かなり痰を取ってもらったけど90に達しない。
     気持ちだけ焦る。

11:00 92まで回復。この数字でもホッとするようになってしまった。

11:35 痙攣 痰はとらずにしばらくしておさまる 95まで回復

12:05 痙攣 


1時間以上痰とってないんです、焦って言うと、さっき私取りましたよ、と言われる。
今とると余計痙攣する、と言って取らなかった気がしたけど…
こんなに目の前で見ていたのに私も頭がどうかしてきた。


取ればいいってもんじゃないんだろうけど。

取るのだって体力消耗したりするんだろうけど。

それしか思いつかないんだもん。

なんにもできないんだもん。



お父さんが手を握ってくれるのは、痙攣した時の、痙攣でビクっとなる時だけになった。




お父さんの足が動かなくなると聞いた時、話ができればそれでいいと思った。

足が動かなくたって、こうやって話ができればそれでいいと思った。

お父さんが意識がなくなったあの日、手を握り返すこの力が返事だと思った。

こうして手で返事をしてくれるなら、話せなくてもいいと思った。

今、その力も奪われた。

でも、お願いだから生きていて欲しいと思った。

足が動かなくても、言葉がなくても、手を握る力がなくても、

どうか、生きていて欲しいと思った。




13:00 痙攣 5秒くらいだったか、お父さんの呼吸が止まった。
     目を開けたまま、ピクリとも動かなくなった。
     まるで、殺人事件のドラマで刺されたときみたいに。

     慌ててナースコールをして、『今呼吸が止まったんです』 と説明した。

     『これからそ徐々にういう事が増えてきます。』

     自分もガンで母親を亡くした、という看護士だった。
     
     本当ですか?
     これから、お父さんはこんな苦しい顔をして止まるんですか?
     もう心も身体も壊れてしまいそうで声にならなかった。
     
     
     『医学的に本人は苦しくないと言われてます』
    
     悪いけどなんの慰めにもならなかった。
     なった人がそう言ったんですか?
     あなたなったことあるんですか? 
     


15:00 お母さんが早めに来た。二人になるだけで少し安心する。

16:00 脈が上がり、135を超える。酸素80代
     熱9.1℃  毛布からタオルケットに変わる。
     
     心電図の数字にいちいち反応している私に看護士は言った。

     『だんだんそういう時期がきています』

     酸素が回復しなくても、そういうもの、という意味だ。

     それでも酸素が回復しないと安心して家に帰れない。
     しばらくねばっていたけどお母さんに促され16時半、病室を出た。


17:10 ずっといびき。痰をとって、ヒゲ剃って痰とって向き変えても寝てる。
     圧48/70 低すぎ 熱8.6℃ 氷枕三箇所。
     脈129 酸素91 呼吸数24
     売店で買ったやつで口を掃除してもらう

18:50 戻る。 脈120代、酸素91 わりと落ち着いている。
     ケーキ食べといてよかったね、とお母さんと話す。
     こうして二人で話ができるだけでも少しホッとする。

19:20 カズが来る。 痰をとり、右向きに。 口のお掃除

20:00 お母さんデニーズで二人は帰った。

20:50 酸素95までUP でも腕に力がなく、指先はまるまっている

21:00 調子いいと思った矢先の痙攣
     苦しそうに呻く。 お父さんがなかなか口を開けてくれなくて、
     痰をとる看護士さんの手が震えていた。必死さが伝わってきた。
     たぶんこの人は新米看護士っぽいけれど、いつも一生懸命で、
     苦しいよね、と言いながら痰を取ってくれる。私と一緒に慌ててくれる。

     枕を外し、平らになったら86→95まで回復した。
     熱8.5度 圧59/75 さっきのは何かの間違いかと思ったけど、
     やっぱり血圧が低すぎる。
     
     お父さんが激しく痙攣したあの日、この部屋に心電図が来たあの日、
     看護士が真っ先にしたことは血圧測定だったのを思い出す。
     それほど生死に直結するものなのか。
     今までそこまで気にしていなかった血圧の数値が意味するもの…

     95まであがって落ち着いたと思ったら…
     素人でよく分からないのに必死に看護士に状況を話す。

    痰が上がってくると数字がUPするけど、口のころで詰まっしまうと、
    苦しくてこういう風になったりする、と教えてくれた。

    話しを聞いてくれるだけで少し落ち着けたりする。
    こういう理由を聞いて、だからと言って何もできないとしても、
    『しょうがないことです』 みたいな言葉を平然と言われるよりも
    よっぽど救われた。

21:55 痙攣。 落ち着いたので休むよ、とお母さんにメールを入れた矢先。

   さっきの看護士が体温計をなくして、絶対この部屋だ、と言って
   行ったり来たり、バタバタしていた。
   こんな状態の病人の布団をめくってでも動かしてでも探す。
   なくしたらよっぽど怒られるんだろうけど、なんか呆れてものも言えない。
   日ごろからキライなヤツだったらたぶん切れてたと思う。
   新米っぷりと、さっきの懸命さに免じて許そう。 もうなくすなよ。


22:55 ウトウトしていたら痙攣。 痰をとっておさまった。
     けっきょく体温計は違うところから出てきたようだ。

23:45 痙攣 見慣れない看護士が来た。

     ほんのちょっと痰をとって様子を見てるだけで痰を取ろうとしない。


     『早く! はやく!! 早くしてよ!こんなに苦しそうなのに!!!』
 

     医療のことは分からないよ。取ればいいってもんじゃないと思うよ。

     でも今までずっととって落ち着いてきたんだよ。

     お願いだから早くとってあげてよ!

     心の中で叫ぶ。


    例の新米看護士が来て、『痰とりましたか?』 と遠慮がちに看護士に聞く。
    そうだよ、早くしてよ。


    おかげで長い長い痙攣だった。



0:40 また長い痙攣がきた。 痰とって看護士が戻ってすぐ、またきた。
     落ち着くまでに5分以上あった。

0:50 痙攣 痰取ってまたすぐなる。
    5分後、またきた。
   身体の向きをまっすぐにして、胸の下にタオルを入れて
   呼吸がしやすいようにしてもらった。

2:05 圧87/125 口を掃除してもらう。


   わたしも目がかすみ、頭がぼんやりしてきた。
    

2:55 弱い痙攣

3:55 弱い痙攣 酸素91 呼吸数40代から下がらず 圧66/85
    痰をとる、少し。 呼吸が苦しそう。精一杯の力で息をしている。

    お父さんの呼吸の様子が夜中と違うのが、私にも見て分かった。
     

4:30 弱い痙攣 呼吸数40〜50 苦しそう。

5:00 弱い痙攣 脈177 酸素92 呼吸数26
    
     やっと数字が安定した。安定して見えた。

     もう何がなんだか分からない。

     頼れるものはなにもない。

     できることもなにもない。 

     モニターの数字を見て、ただただ、右往左往するだけだ。



お父さんの顔が見えるように枕を高くして、ぐっすり寝ないように布団は掛けず、
ロッカーに寄りかかるようにしてウトウトしていた。



7:10 主治医
   
    お父さんの顔を覗き込むようにしてみて言った。
    
    『今日かもしれない』



もしそういうことが起きても、弟が職場から来るのに1時間半くらいかかるから、
どうかそれまでは…



 『もう呼んで下さい。』 


お母さんとカズに電話をして、病室戻ると、指先の酸素測定器が外されていた。



熱、9.9℃ 熱が高すぎて血圧は測定不可能。

9.9℃も熱があるのに、 手は冷たかった。


お母さんが来て、カズが来た。





あとはもう、文章にはできません。

このときは、私たち家族の心に深く、深く、刻まれています。






ただ、一つ、一つだけ、 最後に神様にお願いした。

お父さんの生きた最期のときに、お父さんから足を奪った神様、

どうしてか、こんなに酷いことをしてくれた神様、

今、一つ、最後に私の願いを叶えてくれるなら、

どうか、このまま、痙攣することなく、

お父さんが苦しそうは顔をすることなく、

お父さんを眠らせてあげてもらえませんか。




わたしの願いは贅沢ですか。





どうか、どうか、最後にそれだけ叶えてもらえませんか。


 






平成19年11月29日 午前9時47分  永眠










ありがとう、 ありがとう。  お父さん、 ありがとう。

お父さん、ありがとう。    ありがとう、ありがとう。

ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。





最期の願いだけは、受け入れられた。

11月29日(火)     帰宅

最期に着せたい服なんて言われても、
お父さんボロ服しか持ってなくて困っちゃったよ。



私があげたのにもったいないと言って
ほとんど着てなかったadidasのポロシャツ。

今のお父さんなら二人入ってしましそうなぶかぶかのズボン。



病院に戻るとお父さんの爪が黄色かった。

ストマから見える、いつもは真っ赤な腸が、青白かった。

でもおしりとおなかはまだあったかかった。

筋肉が落ちただけ、と思い込むようにしていた足は、
本当に、本当に、細かった。




看護士さんがお父さんの髪を綺麗にとかしてくれたけど、
とかしたらお父さんじゃないみたいだったから、
わざとボサボサにしてもらいました。




お父さんが帰ってきた。
お父さんのために改装した部屋に。

冷たくて、穏やかな顔で。


昼寝してるように見えるんだけど、冷たいんだね。

ばぁちゃんとルンちゃんとしげちゃんが来て、みんなで
話してたらだんだん顔がこっちを向いてきたよね。


みんなが笑ったら、お父さんも笑ったように見えたんだけど、
お父さん、笑ってたよね。


スヤスヤ寝息が聞こえてきそうなんだけど、

布団が上下して見えるんだけど、

ほんとに動いて見えるんだけど、

昼寝してるようにしか見えないんだけど、



みんな、同じことを言うんだけど。

11月30日(水)     お通夜

朝、コーヒーを入れた。

『いーねー』

カズがシュークリームを買ってきた。

『いーねー』

カズがビートルズを買ってきた。おとうと約束したんだ。

『いーねー』


シュークリーム、減ってるね。



突然トイレが詰まりました。

お父さんがいないのでさっそく困ってしましました。


でも、カズが、なんとかしてくれました。


ばぁちゃんがオムツを流しちゃったって噂もあります。
でもこれは内緒です。



葬儀屋さんはお父さんを白い布に包むんだけど、息が苦しくなかったですか。

死んじゃったみたいだからやめて欲しかったです。

お経が始まったら、これじゃまるで死んじゃったみたいじゃん、と思って嫌でした。

12月1日(木)     告別式

きのう、ここに一人にしてしまったから、お父さん怒ってるかと
思ったけれど、昨日より少し口が開いて笑っていて安心しました。

まなとがドラゴンボールでお父さんを生き還らせてくれるそうです。
早く7つ集めて欲しいんだけど、いつになるのかなぁ。



会社の人が遠くから沢山来てくれました。

みんなお父さんのよく知ってる人ばっかりです。

一人一人、笑ってるお父さんに紹介しました。

お父さんが今にもしゃべりそうに見えたけど、何て言ってましたか。


遺影を持ったカズの涙がお父さんの目に落ちて、お父さんが泣いてました。




人の骨を見るのは初めてでした。



お父さんに、ちゃんと 『ありがとう』 が言いたかったと、
お母さんが泣いています。



お父さんが眠る前にたくさん言っていたの、聞こえてましたか。



冷たくでもいいから、ここに寝ていて欲しいと思いました。

昼寝みたいな顔をして。



泣き疲れたお母さんが、今日のお父さんと同じ顔をして、
ソファで眠っています。

←9月へ      ←10月

11月のTOPへ
さとちゃんTOPへ inserted by FC2 system